そして、205系の歴史で忘れてはならないのが「多扉車」の登場だ。扉を片側4カ所から6カ所に増やすとともに、座席をすべて収納式とすることで、朝ラッシュの混雑緩和と乗り降りに要する時間の短縮を狙った。
1990年に山手線で、4年後には横浜線でも運用を開始。後継の209系やE231系でも6扉車は製造され、京浜東北線や中央・総武緩行線に投入された。多扉車は首都圏の私鉄各社にも波及し、ラッシュ時の切り札として威力を発揮したが、一方で必然的に座席数が少なくなるため、乗客の不満の種ともなった。
さらに、近年導入が進んでいるホームドアへの対応が難しいことから、2020年秋までに首都圏の多扉車はすべて引退した。ちなみに、今も残る多扉車は1970年に登場した京阪電鉄5000系のみだが、こちらも同鉄道京橋駅にホームドアが設置される関係で、近く引退する予定となっている。多扉車の元祖といえる車両が最後まで残ったというのも、なかなか興味深い。
首都圏で幅広く活躍
話を戻そう。205系はJR発足後も製造されたものの、JR東日本ではさらなる省エネやメンテナンスの簡素化を目指し、民営化直後から車両の開発に着手。1992年には試作形式となる901系を製造し、その成果を基にした209系が翌1993年から量産された。これにより、205系の製造は1460両余りで終了している。
205系の主戦場は、山手線、埼京線、京葉線、横浜線、武蔵野線など幅広かった。このうち山手線は、E231系に置き換えられる形で2002年から他路線に転出。一部は先頭車改造が行われ、各地の103系を淘汰した。その後もE231系や後継のE233系が製造されたものの、こちらも103系や201系、115系の置き換えが主目的で、205系の陣容にしばらく大きな変化はなかった。
だが、これらが一段落した2010年ごろからは、いよいよ205系の淘汰が始まった。京葉線や埼京線、南武線で次々と役目を終え、2020年10月には武蔵野線からも引退。現在、JR東日本エリアで205系が見られるのは、相模線や鶴見線、仙石線など6線区で、約200両が同社最古参の通勤型車両として走っている。
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