解散から4年「SMAP」を求める声が止まない理由 危機にあってこそ社会全体を励ます存在だった

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かくしてSMAPは、平成の日本社会の希望の光として輝き、導く役割を担っていった。それは、アイドルにもかかわらず、というよりも私たちに身近なアイドルという存在に彼らが徹したからこそ生まれえた役割であっただろう。

私たちと「ともに」あろうとする彼らのそうした姿勢は、「NHKのど自慢」に出演して東日本大震災の被災地を訪れ、パラスポーツの応援に精力的だった最後まで変わることはなかった。

SMAPはテレビエンタメの開拓者だった

また、SMAPがこうも社会での存在感を高めた背景には、後に続くアイドルたちの「ひな型」となったことも関係している。

ここまでみてきてわかるように、“SMAPの歴史”の中心にはテレビがあった。先述のSMAPが総合司会を務めた「FNS27時間テレビ」のサブタイトルに掲げられたのが、「武器はテレビ。」というフレーズ。まさにそれを体現していたのが、彼らであった。

実際、SMAPは、ジャニーズにおけるテレビエンターテインメントの開拓者であったと言っても過言ではない。もちろん、それまでもジャニーズのタレントはテレビで活躍していた。だがSMAPは、従来とは違う新たな道を切り拓いた存在だった。

例えば、歌手としてのSMAPは、2003年の「NHK紅白歌合戦」において「世界に一つだけの花」で初のトリ(大トリ)を務めたが、実はグループ歌手のトリは紅白史上初のことだった。そこには、グループでの活動が中心のジャニーズにとって、嵐など後輩グループに道を開く意味合いがあったと言える。

また、ジャニーズがバラエティー番組に出ること自体は珍しいことではなかったが、「SMAP×SMAP」のように従来のアイドルのイメージを覆す本格コントに取り組み、さらに歌やトークも楽しめる総合バラエティーのメインを務めて成功させたのは画期的なことだった。

またメンバーのソロ活動を通じ、音楽番組、バラエティーやドラマはもちろん、ニュース番組や教養番組などそれまでジャニーズにとって縁遠いと思われていたジャンルの番組に進出する道筋をつけたのも彼らだった。

こうして確立された、歌手を基本にしつつ、テレビで冠バラエティー番組を持ち、個々のメンバーが個性や才能に応じて多彩なジャンルの番組で活躍するスタイルは、後に続くジャニーズグループにとってのモデルになった。TOKIO、V6、KinKi Kids、嵐など同じ1990年代にCDデビューしたグループだけでなく、現在に至るまでそのスタイルは受け継がれている。

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