とはいえ森且行の脱退の後も、グループの存続が危機に瀕するような事態はあった。2001年に稲垣吾郎、2009年に草彅剛がそれぞれ不祥事を起こし、芸能活動を自粛した。
ただそうしたときも、彼らは「SMAP×SMAP」というテレビ番組を通して直接私たちにそのときのリアルな表情を見せ、思いを吐露した。稲垣吾郎も、そして草彅剛も、「SMAP×SMAP」の中で謝罪するとともに再出発の決意を語った。ファンだけでなく、多くの視聴者が“SMAPという歴史”の節目節目に立ち会い、彼らと思いを共有することになったのは間違いない。
さらにSMAPが総合司会を務めた2014年の「FNS27時間テレビ」(フジテレビ系)では、5人に向けて宛てた森且行の手紙が読まれる場面もあった。2017年に香取慎吾、草彅剛、稲垣吾郎が司会を務めた「72時間ホンネテレビ」(AbemaTV)の中で3人は森且行と21年ぶりに共演、そして今回の念願の森の優勝となった。そのように、解散後も「新たな歴史」は紡がれ続けている。
平成の日本人にとってのSMAP
だが、SMAPの存在感が日本人の中でこうも大きい理由は、彼らがこれまで「日本が抱える悩み」に彼ら自身、真剣に向き合ってきたからだろう。
1995年1月に発生した阪神・淡路大震災発生直後の「ミュージックステーション」に出演したときのこと。SMAPは生放送の番組で歌の前に木村拓哉と中居正広が被災者に向けてメッセージを送るとともに、急遽予定された曲目を変更し「がんばりましょう」を歌った。
そして、2011年の東日本大震災のときにも、彼らは「SMAP×SMAP」の緊急生放送を行い、視聴者から寄せられたFAXなどと共に自分たちにいまできること、こういうときのエンターテインメントの意味について語り合った。その際、歌われた曲の中にも「がんばりましょう」はあった。その後「SMAP×SMAP」では、番組が終了するまで毎回支援金の呼びかけが続けられた。
図らずも「がんばりましょう」という表現には、「頑張れ」とは違った「一緒に」「ともに」というニュアンスがある。
平成は、災害に限らず、それまで確かだと思っていた日常が脅かされ始めた不安な時代だった。バブル崩壊以後、長く続いた経済的停滞とそれに伴う就職難などもあり、それまでは見えていなかった社会の基盤のほころびもさまざまな形で出てきた。家庭、学校、地域といった私たちがともに生きる場である共同体が揺らぎ始めたのである。
その中でSMAPは、さまざまな苦難がありながらも、それぞれが自立したエンターテインメント集団として私たちに理想の共同体を見せてくれた。と同時に、不安を深くする日本社会に寄り添うように、私たちにメッセージを送り続けた。
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