「社会人野球でも戦力外」元プロが挑む意外な道 3度の戦力外通告を受けた矢地健人の今
別の場所で野球を続けよう、とは思い及ばなかった。
「ここ(東海REX)が最後だと決めていたので、これ以上続けようとは思いませんでした。自分としてはホッとした部分もあります。野球はしんどいけれど、楽しかったです。
社会人2年目のとき、当時3歳近かった長男に自分のユニフォーム姿を見せられたのは最後の思い出になりました。チームが都市対抗の本戦に出られたので、東京ドームでの試合に家族を連れていったんです。僕の出番はありませんでしたが、ベンチには入っていました。
長男は6歳になった今、テレビで野球の映像を見ると『パパもやってたんでしょ』とか、『この選手とパパとどっちがすごいの?』と聞いてきます。最近も、テレビに東京ドームが映ったとき『ここ来たこと覚えてる?』と僕が聞いたら、『覚えてるよ』と言ってくれました」
社業に励み、幸せな時間を家族と
白球を置いてから3年が経った。プレーヤーとして引退勧告を受けても、社会人として“戦力外”になったわけではない。一人の人間として人生は続いていく。第2の人生のほうが長い。矢地には励み、守るべきものがある。今の仕事であり、家族だ。
社会人野球の選手はプレーヤーを引退後、そのまま所属企業で社業に専念することも多い。矢地が2016年からプレーした東海REXは新日鐵住金(現・日本製鉄)を母体としている。矢地は当時から同社の正社員だ。
「もう引退して3年経つんですね。社業に専念して3年続けられるとは思っていなかった。最初のころは苦痛で苦痛で胃が痛くなって、家に帰ってからしばらくうずくまっていました。野球とは別のストレスを感じていました。会社で何をやっていいかわからず、ずっとこの生活なのかと……」
生活は一変した。プロでは野球が仕事だったし、社会人野球のプレーヤー時代も練習や試合がメインだった。社業への専念は業務の内容も変わり、ゼロからのスタートとなる。パソコンや基本的な機器の操作方法もわからず、電源ボタンを探すところから始まった。職場で飛び交う業務の話も理解できない。右も左もわからぬ状況に、体が拒否反応を示した。
それでも、勤め人として3年続いた。どの業界でも3年働けば、ひと通り仕事を覚え、適応を示す頃だ。「まだまだわからないことが多すぎて……」と本人は学びの必要性を感じているが、一社会人として壁は越えたと言えそうだ。業務は事務仕事と、工場での仕事が半々ほどだという。疲労困憊で家路につく日々だが、立派なビジネスマンになった。
仕事を頑張れるのは、家族の存在があるからだ。もともと矢地が同社に入社したタイミングは、人生の大きな節目と重なった。結婚式である。
婚姻届は、中日に在籍していた2014年4月に提出した。シーズン終了後に式を挙げるつもりだった。だが、「2年連続クビ」という荒波に直面する。2014年は長男の誕生を控えた中、秋に中日をクビになった。翌年、ロッテ入りして1軍登板を果たし、その年のシーズンオフ(12月)を挙式日として結婚式場を予約した。しかし、10月にロッテをクビになってしまう。