過去の賢人に学ぶ「成長追わない社会」の作り方 沈みゆく資本主義の船にしがみついていいのか
斎藤:ええ、私が言っているコミュニズムというのは、いわゆるソ連型の共産主義とはまったく違うものです。むしろソ連は、国家主導型の資本主義だったとさえ言えるわけですが、私の言うコミュニズムは、資本主義が壊してきた<コモン>の領域を再び構築していく、コモン主義なのです。
コモンとは、水や電気や食料、医療など誰もが必要とする、みんなのための財産です。例えば、水道が日本でも民営化されようとしていますが、資本の力で管理するのではなく、市民の手で管理する「<市民>営化」を目指す。それがコモンを再生し、その領域を広げていくということです。
そうやって、資本主義ではない領域を増やし、利潤追求とは無関係な経済システムを作っていくことで、環境を守り、気候変動に歯止めをかけ、相互扶助の関係を再構築していく。困難な道なのはもちろんですが、そこにしか未来はないと思いますし、たぶん、こういう意味でのコミュニズムであれば、多くの人が賛同してくれるはずなのです。
100年前のパンデミックに学ぶ
中島:ここは保守の人間だって、おおいに共感するポイントです。エドマンド・バークなどが行ってきた近代主義批判とマルクスの問題関心は大きく重なる。そしてその核心は、今おっしゃったコモンだと思います。
これまで1920年代の思想を中心に研究してきた私からすると、このコモンの再建という話は、マルセル・モースの『贈与論』も思い出す議論でした。この本が出版されたのは1925年のことです。
モースは資本主義に行き詰まりを感じ、未開社会の中に資本主義を乗り越える知恵を見出しました。それがポトラッチ、返礼なき贈与です。
また、モースは国家が資源を再配分するのではなく、協同組合や共済組合のように、社会の力で資源を再配分する仕組みを重視した。
斎藤さんも、コモンの実践の場として協同組合やワーカーズ・コープの重要性を強調していますね。それが、資本主義の壁を突破する道だと。
斎藤:ええ。
中島:モースの時代も、現代と同じように、グローバル資本主義のせいで、大きな危機が訪れていました。ひとつには第一次世界大戦の勃発、それからスペイン風邪のパンデミックです。第一次グローバル化のもと、人々が経済成長を求めたことで、国と国の争いが生じ、さらには未知のウイルスまで蔓延してしまった。
今回のパンデミックで気づかされたのは、モースを何度も読みながら、その際、スペイン風邪という時代背景を自分の視野に入れてなかったという点です。コロナの感染拡大があったあとに、モースを読み直し、1920年代と今日の状況がいかに類似しているかということに気づかされました。