フランス人が決して「手料理」にこだわらない訳 貴族に嫁いだ女性が見た義母のエレガンス

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というのは、フランス貴族の考え方として、「食事=料理」ではありません。誰かと会話を楽しみながら食べる、1人ご飯なら何か心に問い掛けながら食べる。食卓に花を飾って、心を配った盛りつけや、美しい皿を愛でながら食べる。そんなふうに、お腹だけでなく、心も満たすのが「食事」というもの。あつあつの手料理以上に、食卓を囲む1人ひとりが穏やかな気持ちでいることの方が大切です。

もし、「台所の奴隷」となっていると感じるのであれば、手を抜くべし。最低限の栄養のバランスさえ押さえているのなら、品数の少なさは、あなたの笑顔で補えば、家族も文句など言わないはず、いや、文句が出ても笑い飛ばしてしまえばよし! ではないでしょうか。

「もっと楽しいことがあるでしょう?」

「奴隷となっている」や「召使いじゃないんだから」という表現は、フランスでは折に触れ耳にします。誇り高くて、平等意識が高く、その裏側には階級意識も強いフランス人ならではの表現かもしれません。

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仕事でヘトヘトになっている夫に、息子たちは、「パパ、仕事の奴隷になっている場合じゃないでしょ。ほら、チェスでも指そうよ」と声をかけます。

息子たちが幼い頃は、私も「子どもたちに仕(つか)えるのもいい加減にしなさい」とよくからかわれました。フランス人の目から見ると、子どもをベビーシッターや義母に預けてディナーや旅行に行くことをためらう私はトゥーマッチに映ったのかもしれません。

共通するのは、前提に「もっと楽しいことがあるでしょう?」という点。仕事よりも、子育てよりも、もっと楽しいことがあるのに、なぜ必要以上に自ら嵌まっているの?と、フランス人たちは言いたいのだと思います。

今コロナ禍で家に閉じこもり、気持ちがささくれだっていると感じるとき、「奴隷になっていないか」と自問するようにしています。仕事の奴隷、料理の奴隷、掃除の奴隷、育児の奴隷、勉強の奴隷……。どれも、自主的にやっているときは楽しめるのに、強制されると、苦痛に変わります。そして強制しているのは誰かというと、ほとんどの場合、自分だという……。

皆さんは大丈夫でしょうか。

強いられている、と感じたら、一旦止まることを勧めます。仕事の場合はなかなかそうはいかない? 本当にそうでしょうか。自分で決めたノルマの奴隷になっていることも多いのでは?

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