ふかわりょうが「タモリ」を心底尊敬する理由 力は抜くけど、いい加減ではないという塩梅
でも、時にサングラスを持ち上げたりしながら、しっかりと台本に目を通す時間が必ずあるのです。これだけ長いことやっているのだから、「あぁ、大丈夫、大丈夫!」と省略してもいいものなのに。「力を抜く」と「いい加減」は違うのでしょう。
ご自宅を訪ねたときには、オーディオ・ルームを案内していただき、レコードや機材の話をしてくれました。猫たちがウロウロする中で、タモリさん特製のカレーライスをごちそうになりました。
力は入れるより、抜くほうが難しいかもしれない
野球選手は、ホームランを打つ際、力は入っていないそうです。同様に、ゴルフにしても、力で打つのではなく、力を抜いた状態でスイングする。しかし、これがとても難しい。赤ちゃんが落下しても意外と無傷なのは、力が入っていないからでしょう。ピアノで大きい音を出す際も、力ではありません。ちゃんとしようと思うほど、力が入ってしまう。力を入れるよりも、力を抜くほうが難しいのかもしれません。
海外の場合、映画の編集権は監督にないことが多いようです。監督は撮影したどのカットにも思い入れがあるので、すべてを使いたくなる。その結果、本編が長くなってしまう。それは「ディレクターズ・カット」としての価値はあるかもしれませんが、興行収益を考慮すると、長尺があだとなりかねない。
監督が苦労して撮影したカットも、観客にとって不要であれば切り捨てる必要が生じる。引き算の重要性。何事においても、力が入ってしまうのはよくないのでしょう。デートでも力が入って緊張して、いつもはしないような失敗を招いてしまったり。手を離し、浮力だけでこの芸能界を漂うにはもう少し時間がかかるかもしれませんが、いつかそのようになりたいものです。
「すみません! まさか掛かってくるとは!」
普段からよく電話があったり、頻繁にお会いしているならまだしも、あまりに突然の出来事に、即座に居住まいを正しました。
「なんだよ、いいよ、緊張しないで」
私も長いことこの世界にいますが、いまだに体が固まってしまいます。お会いする機会がなくなっても、自分が歳を重ねれば重ねるほど、タモリさんの存在は大きくなっていくのです。そんな尊敬する人を、一瞬でも不審人物扱いしてしまったことを激しく後悔する夜。
「いえ、私にとっては神様なので!」
無意識にこの言葉が出ていました。
今思うと、なぜあの日、私に掛けてきたのか。頭の片隅に置いてくれているのでしょうか。しかも、酔ったときに掛けてきたことは、ただ掛かってくるそれよりも何倍もうれしいもの。「今度、飲みに行こう」。それから今日まで、まだ神様からの着信はありません。いつか、2人でお酒を酌み交わしたいものです。グラスに浮かぶ氷をかき混ぜながら。
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