末期がん妻に夫が学んだ「後悔しない看取り方」 50代夫婦、2人暮らしの涙と笑いの奮闘記後編

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妻が入院中は毎日、手紙を書いて病室に届けていた。手紙を読む数分間だけでも病気を忘れてほしかったからだ。「手紙をもらって自分が認められたことに安心した」「ミツルの私に対する気持ちが伝わって幸せや」と妻は喜んでくれた。でも一度だけ、その手紙で妻を怒らせた。

ある朝病院に行くと、不機嫌な顔をして押し黙っている。

「きのうの手紙に『前向きに』って書いてあって、なぜそんな酷なことを言うのと思った。気持ちをやりくりするのに精いっぱいなのに」

「目標を持つとか、後悔ないように……というのもわかるけど、友達が思ってくれて、好きな人と好きなものを食べられたら私は後悔しない。前向きとか言われると、しんどいとか痛いとか言いにくくなっちゃう」

妻はそう言った。僕は頭を垂れるだけだった。

余命宣告を受けて葬式の話を始めた妻

痛みがおさまり一度は退院したが、腹痛やせきが悪化して再入院した。免疫チェックポイント阻害薬の副作用「間質性肺炎」と診断された。4月末には主治医から「余命は早ければ週単位かもしれない」と告げられた。

病室にもどると、妻は葬式の話をはじめた。「香典や供花はお断り。会葬御礼は私の好きなビスケット。『G線上のアリア』を流してほしい。お棺には水色のワンピースを入れて」。

それから料理の話に移った。「手抜きばかり考えてたのに今はお料理をしたい。新じゃがのコロッケとか、マカロニグラタンもつくりたいね。ラタトゥイユとチーズを玄米の上にのせて焼くだけでもおいしいよね。鶏ゴボウごはんもつくりたい。ミツル、きょう帰りに白米2キロ買っておいて」。僕は泣きながらうなずくだけだった。

治療は病院まかせにするしかない。でもちょっとでも妻の苦しみをやわらげる手助けをしたい。つぼや気功にくわしい知人に妻を診てもらい、初歩的なつぼを教えてもらった。

妻が頭痛を訴えると、頭の下に両手を入れてふんわり包む。15分もすると表情がやわらぎ眠ってくれる。腰などの痛みを抑えるツボも押した。どの程度効くかはわからないけれど、オロオロして医者にすがるだけではなく、自分がちょっとでも役立てるのが救いだった。とくに「回復の見込みがない」と病院に見放されてからは唯一の支えになった。

「素人でも痛みがやわらぐんだね。病院にもつぼにくわしいスタッフを置いて、患者の家族に教えてくれたらよいのにね」と妻は語った。

その後、奇跡的に回復して一度は退院にこぎつけたが、7月半ばから再び痛みが強まり、8月には自力で起き上がれなくなった。

8月23日に入院すると妻の体調は転げ落ちるように悪化した。3日後には自分で着替えられなくなった。医療用麻薬が処方されるとろれつがまわらなくなった。トイレまで歩けなくなり、鼻から酸素の吸入をはじめた。腹水でおなかは力士のように膨らんだ。

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