バイデン勝利にセレブが涙を流して共感した訳 分断から調和へ「感動の嵐」はさらに続くか
トランプ政権になってから、アメリカ社会では人種差別の姿勢を見せることに躊躇しない人が増加した。差別を受け、スーパーマーケットで誰にも攻撃的なことを言われずに無事に車に戻れるかどうかを心配しながら生活しなければならない黒人たちもいた。人種差別、経済格差、フェイクニュース、これらを操るトランプ政権が終わりを告げたことに安心する人が多かったようだ。
「4年と4日という時間がかかりましたが、ようやくこの瞬間がやってきたという感じです。待ちわびていた春が来たと思い涙があふれました。人間的でない、冷酷な差別主義者の大統領が変わるというよろこびです」(民主党支持の50代アメリカ人女性)
選挙戦中、大統領候補のジョー・バイデン氏は、トランプ陣営とは180度異なる戦略を取った。コロナ対策において『マスクをする、しない』の“マスク代理戦争”は、FOXニュース、CNNのようなテレビ媒体を巻き込みながら、アメリカ国民はもちろん、世界中の人々の興味をそそった。結果的にこれはわかりやすい戦略だったといえる。
「バイデン氏自らがナレーターを務めた選挙CMがありました(「Empty Chairs in America Because of COVID-19 | Joe Biden for President 2020」)。誰も座っていない空の椅子が新型コロナウイルスで亡くなった22万人の犠牲者であることを象徴したCMが共感を呼んだと言われています。数週間、数カ月前にはディナーテーブルは愛する人、母、父、兄弟姉妹がいたのに、コロナの犠牲になってしまった。リーダーがしっかりしていれば、彼らは命を落とす必要はなかったというCMですが、これはかなりインパンクトがありました」(現地ジャーナリスト)
東日本大震災では「トモダチ作戦」で被災地へ
バイデン氏は、愛する家族の喪失を若いときに経験している。1972年、初の上院議員選に勝利した翌月、バイデン氏の車でクリスマスの買い物に出掛けていた大学在学中に結婚した妻と、まだ1歳だった長女を交通事故で亡くし、2人の息子も重傷を負った。現在、コミュニティ・カレッジで教授を務める次期ファースト・レディのジルさんと再婚したのは1977年のことだ。
また、副大統領在任中の2015年5月には長男ボー・バイデン氏(当時46歳)を脳腫瘍で亡くしている。自分と同じく、政治の道を歩み始めていた矢先の悲しみだった。本来ならば2016年の大統領選出馬を検討していたのだが、断念せざるをえなかった。
バイデン氏はオバマ政権で2期8年にわたって副大統領を務め、無保険者をなくすための医療保険制度「オバマケア」成立のため、議会との調整にも尽力した。しかし、トランプ氏が2016年に大統領に就任すると、選挙公約にしていたこともあり、この制度を廃止しようとしたのだ。そのためバイデン氏は早速、大統領就任後の優先課題として「オバマケア」の拡充に取り組むと表明した。つねに弱者の視点を持つバイデン氏ならではの方針だろう。
バイデン氏は2011年8月、東日本大震災から5カ月後に副大統領として日本を訪れている。「トモダチ作戦」というアメリカによる災害救助・救援および復興支援の下、被災地である宮城県名取市を訪れたのだ。当時、アメリカの閣僚級以上の高官が被災地に入るのは初めてのことだった(「Raw Video: Biden Meets With Tsunami Evacuees」)。
バイデン氏は仮設住宅を訪れ、「必要とされる間はいつまでもここにとどまり、皆さんを手助けする」と述べ、市民に寄り添う姿勢を示した。家族を失うことのつらさを身をもって経験しているため、「この中に家族を失った人はいますか」と呼びかけ、「周りの人は『時間がたてば立ち直れる』というが、そういうものではない。私はその気持ちがよくわかる」と語り、被災者に自らが近づき、一人ひとりとハグや握手を交わした。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら