国道16号線が日本の繁栄を語る上で外せない訳 古い歴史を持ちながら典型的な「郊外」を作った
平安時代、武士勢力が台頭したのも16号線沿いの地域である。
伊豆蛭ケ小島を脱した源頼朝が鎌倉幕府を開くにあたって走り回ったルートも、室町時代に戦国の世に連なる数々の大名が覇権を争って城を築いたのも、戦国時代に京都から江戸へと政権を呼び寄せる下地となったのも、徳川家康の命で江戸幕府が日本史上最大の河川改修事業を行ったのも、16号線エリアだ。そもそも最初の武士政権が置かれたのは、16号線エリアの鎌倉である。鎌倉街道の多くは現在16号線が走っているエリアと重なっている。
江戸時代末期から明治維新にかけて、16号線エリアは、改めて歴史の表舞台に躍り出る。殖産興業と富国強兵を担う道となるのだ。
日本の開国を促したペリーの黒船が訪れたのは、横須賀・浦賀であり、開港したのは横浜だ。どちらも16号線沿いの街である。横浜港から世界に出荷されて日本の近代を支える最大の外貨獲得手段となったのは生糸だ。各地で生産された生糸は八王子に集められ、横浜に運ばれた。八王子と横浜を結ぶ街道は、のちに日本のシルクロードと呼ばれるようになり、現在の16号線の一部となる。
16号線の通る地域はアメリカ文化の媒介地に
生糸で稼いだ外貨で、明治政府は富国強兵に邁進した。横須賀には軍港が開かれ、浦賀で軍艦が建造された。所沢には日本最初の飛行場ができ、相模原や立川、福生、入間、柏、習志野には日本軍の航空基地や施設が整備された。軍用を兼ねて地域を結ぶ道路の整備が進んだ。これらすべての道が16号線の原型となる。
第2次世界大戦で日本は敗れ、敗戦国となった。旧日本軍の施設は米軍に接収され、米軍基地に変わった。16号線の通る地域は、戦後の日米安全保障の縮図となる一方、アメリカ文化の媒介地となった。日本の芸能界と音楽産業が花開き、映画や小説や漫画に影響を及ぼし、サブカルチャーや社会風俗の進化を促した。
日本の戦後芸能史を形作った主要メンバーが16号線沿いの進駐軍クラブや米軍キャンプで、ジャズやカントリー&ウェスタンなどを演奏した人たちであり、美空ひばり、松任谷由実、矢沢永吉、大滝詠一、細野晴臣、小田和正から、EXILE、クレイジーケンバンドに至るまで、日本を代表する各世代のミュージシャンが、16号線沿いで生まれ育ったり、音楽キャリアをスタートさせたりしている。
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