国道16号線が日本の繁栄を語る上で外せない訳 古い歴史を持ちながら典型的な「郊外」を作った

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国道16号線エリアには古い歴史があった。それも旧石器時代から、縄文、弥生、古墳時代を経て、武士階級が台頭する中世、そして江戸末期から明治維新を経て昭和の戦後に至る時期までの。その意味では、東京の中心部どころか、京都や奈良、大阪の畿内や、九州北部、出雲といった日本の歴史の古層とつながる地域に負けていない。

けれども、現在の16号線のイメージは「郊外」である。実際に道を車で走ってみると、窓越しから見えるのは、ショピングモールと田んぼと自動車ディーラーと雑木林が混ざる典型的な郊外の景色だ。4都県27区市町を通っているが、東京23区には一切接していない。

16号線には「都会」要素も含まれている

実際、16号線は、さまざまなメディアに「日本の郊外」の典型として取り上げられてきた。『東洋経済オンライン』の読者の皆様ならば、バブル崩壊以降の1990年代にスタートした郊外消費の最前線として、国道16号線が、テレビの経済番組や新聞の特集などに取り上げられことがあるのをご覧になったことがあるかもしれない。アメリカから進出してきたトイザラスの単独1号店も、ダイエーの関東進出1号店も、ブックオフが創業したのも、すべて16号線エリアである。

『国道16号線 「日本」を創った道』(新潮社)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

ただし、ちょっと視点を変えてみると、この道には「都会」要素も含まれていることに気づく。横浜市、さいたま市、千葉市と、神奈川、埼玉、千葉3県の県庁所在地と相模原市という政令指定都市を通っているため、沿線の総人口は1000万人を超えるのだ。940万人弱の23区より大きい。ただし、その人口の多くは戦後の1950年代以降現在に至るまで延々と建設され続けている「ニュータウン」に暮らしている。

東京に資本が集中し、京浜工業地帯や京葉工業地域などが拡大していく過程で、地方からの働き手を吸収する「町」として、16号線エリアは、巨大な住宅開発の最前線となった。このため、エリアとしては古い歴史を持ちながら、道沿いで暮らす人々の多くは、新住民とその子供たち、という典型的な「郊外」の様相を呈するようになったわけである。

柳瀬 博一 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院 教授

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やなせ ひろいち / Hiroichi Yanase

1964年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)入社、「日経ビジネス」記者を経て単行本編集に従事。『小倉昌男 経営学』『日本美術応援団』『社長失格』『アー・ユー・ハッピー?』『流行人類学クロニクル』『養老孟司のデジタル昆虫図鑑』などを担当。「日経ビジネス オンライン」立ち上げに参画、広告プロデューサーを務める。TBSラジオ、ラジオNIKKEIでラジオパーソナリティとしても活動。2018年3月日経BP社退社後、現職。共著書に『インターネットが普及したら僕たちが原始人に戻っちゃったわけ』『混ぜる教育』など。

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