女子高生が竹下通りから新大久保に流れるワケ 原宿では歴史がある雑貨店など閉店が相次ぐ
そんな竹下通りの店の関係者に、最近の状況について話を聞いてみると、「コロナ禍の影響でインバウンドのお客さんがすっかり来なくなり、来店客数で言うと最盛期の4分の1から5分の1ですね」「やはり客足が減って閉店、撤退する店が次々と出てきています」「この一帯、家賃が高いので大手のチェーン店が増えています」といった声が耳に入る。
さらに、訪日観光客で賑わっていた店舗からは「インバウンド向けの商品展開から、若い女子向けのアクセサリーなどを増やすなど商品構成を変えている店もあります」との話も聞こえてきた。なかなか実態は複雑のようだ。
「竹下通り元年」は1974年
ここで竹下通りの歴史を「原宿竹下通り商店会」ホームページの記述をベースに簡単に振り返ってみよう。
【2020年11月9日16時55分追記】初出時、竹下通り界隈の旧地名に関して事実と異なる部分がありましたので、上記のように修正しました。
家賃相場の高さに収益も追いつかず
竹下通りの若者文化は、時代によって形を変えてきた。竹の子族、タレントショップ、ゴスロリ、韓流コスメ、プリクラ、タピオカなど……。竹の子族からは一世風靡、沖田浩之、清水宏次朗などのグループや俳優が生まれた。若者文化にパワーがあった時代だ。
それから約40年。この数年、竹下通りのショップが閉店、撤退に追い込まれている状況については、経済的な側面もあるという。
ある経済ジャーナリストは、「家賃相場の高さに収益が追いつかないのです。ネット上で見ると、原宿界隈の坪単価は約4万円で、竹下通りの路面店では平均をはるかに上回る物件もあります。高額な家賃に人件費、光熱費を考えると、収益を確保するのはなかなか難しいですよ。
この街で売られている商品は女子高生ら10代の少女がターゲットですから、販売単価は数百円のものがザラにある。客が押し寄せるような状況で、商品がどんどんさばければいいが、ここ数年はネット通販に押され、売り上げが思うほど伸びていないようです」と口にする。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら