女子高生が竹下通りから新大久保に流れるワケ 原宿では歴史がある雑貨店など閉店が相次ぐ

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そんな竹下通りの店の関係者に、最近の状況について話を聞いてみると、「コロナ禍の影響でインバウンドのお客さんがすっかり来なくなり、来店客数で言うと最盛期の4分の1から5分の1ですね」「やはり客足が減って閉店、撤退する店が次々と出てきています」「この一帯、家賃が高いので大手のチェーン店が増えています」といった声が耳に入る。

さらに、訪日観光客で賑わっていた店舗からは「インバウンド向けの商品展開から、若い女子向けのアクセサリーなどを増やすなど商品構成を変えている店もあります」との話も聞こえてきた。なかなか実態は複雑のようだ。

「竹下通り元年」は1974年

ここで竹下通りの歴史を「原宿竹下通り商店会」ホームページの記述をベースに簡単に振り返ってみよう。

【1960年代】戦後、この界隈は原宿、穏田、竹下町などと呼ばれていたが、1965年に町名地番が整理され「神宮前1丁目~6丁目」となる。
【1970年代】営団地下鉄千代田線開通。明治神宮前駅開業。
1974年:パレフランセがオープン。竹下通り元年。
1978年:ラフォーレ原宿がオープン。
1979年:ホコ天に竹の子族が出現。
【1980年代】タレントショップ全盛期。原宿全体で52店舗、このうち竹下通りに42 店舗。 
【1990年代】ゴスロリ、パンクファッションの若者があふれかえる。
1998年:ユニクロ原宿店オープン。
 【2000年代】青山アパート解体。竹下通りに下着と靴下の店増える。
2006年:表参道ヒルズがオープン。
2008年:明治通りにH&Mオープン。ファストファッションブーム。
2011年(3月):東日本大震災で竹下通りの来外者激変(5月から回復)
2015年:原宿アルタがオープン。このころからインバウンド客が増える。エチュードハウス日本初の路面店オープン。韓流コスメが人気化。
2019年:空前のタピオカブーム。原宿・竹下通り界隈に多数の店が立ち並ぶ。
【2020年代】原宿駅の新駅舎の供用開始(3月21日)。
原宿駅前にウィズ原宿が開業(6月5日)。

【2020年11月9日16時55分追記】初出時、竹下通り界隈の旧地名に関して事実と異なる部分がありましたので、上記のように修正しました。

家賃相場の高さに収益も追いつかず

竹下通りの若者文化は、時代によって形を変えてきた。竹の子族、タレントショップ、ゴスロリ、韓流コスメ、プリクラ、タピオカなど……。竹の子族からは一世風靡、沖田浩之、清水宏次朗などのグループや俳優が生まれた。若者文化にパワーがあった時代だ。

それから約40年。この数年、竹下通りのショップが閉店、撤退に追い込まれている状況については、経済的な側面もあるという。

ある経済ジャーナリストは、「家賃相場の高さに収益が追いつかないのです。ネット上で見ると、原宿界隈の坪単価は約4万円で、竹下通りの路面店では平均をはるかに上回る物件もあります。高額な家賃に人件費、光熱費を考えると、収益を確保するのはなかなか難しいですよ。

この街で売られている商品は女子高生ら10代の少女がターゲットですから、販売単価は数百円のものがザラにある。客が押し寄せるような状況で、商品がどんどんさばければいいが、ここ数年はネット通販に押され、売り上げが思うほど伸びていないようです」と口にする。

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