フランス、ドイツにおけるインターネット選挙運動の歴史--解禁へ向け動き出したインターネット選挙運動[5]
02年のインターネット選挙が盛り上がらなかった理由は、インターネット普及率が30%程度であったこと、そして閲覧者が自主的に情報を仕入れなければならないプル型ツールに国民が不慣れであったことだった。
盛り上がらなかった02年とは一転して、07年のサルコジvs.ロワイヤルはインターネット選挙としても両陣営は火花を散らした。仮想ネット空間「セカンドライフ」上に各候補が事務所を構え、その"襲撃事件"も起こるほどであった。
米国ディーンの手法を徹底的に活用したのがロワイヤルだ。社会党の人気女性議員というレベルにすぎなかった彼女は、メール、ブログで情報発信をするとともに、ネット世論も積極的に吸い上げ、実際の政策に生かすことでネット界の評価を獲得、大統領選の有力候補にまで、のし上がった。
サルコジも負けてはいない。チャットや動画を活用するとともに、携帯電話のショートメール(SMS)を用い、選挙広報を素早く流し、集会への支持者動員に役立てた。
ここに、興味深いデータがある。07年3月から5月の決選投票日にかけての両候補者のウェブサイト改善状況を追っていったものだ。