宇沢弘文の「社会的共通資本」が今、響く理由 コロナ禍で社会に本当に必要なものがわかった
そのためには宇沢の『自動車の社会的費用』で展開された理論が参考になるとも思います。1974年に出版されたものですがいまだに再版され、中国や韓国などでもここ数年、翻訳出版が相次いでいます。根元的なものにアプローチしているために古びることがないのだと思います。人の命をお金に換算しないですむ社会制度を構築していくためのヒントがたくさん詰まっています。
「公(おおやけ)」「みんなのため」という議論をする際に、実は弱い人にしわ寄せがいく構図についてもこの本で言及していました。例えば、道路を作る際には、路線価格が低いところに作られやすい、そして幹線道路ができた場所はさらに路線価格が下がるという構図があることを指摘しています。
この、新型コロナ感染症の際にも、感染予防という公のために弱い人々にしわ寄せがいっていることを忘れてはならないと思います。この感染症はその弱い人々を守らないと収束が難しいことも指摘されています。自分のまわりの「見えている環境」を整備するだけでは十分ではないのです。目に見えていない環境までカバーするのが社会的共通資本という理論なのではないでしょうか。
古典派経済学が無視した「人の心」を見つめ直す
人間の心が動いてはじめて経済が動く。そんな当たり前のことも忘れられているような気がします。経済活動が必要なのはなぜなのか。人々が豊かに暮らすためです。それには、古典派経済学では無視されていた人間の心や自然環境を見つめ直す必要があるのです。
「よく生きる」を理念に掲げるベネッセの福武總一郎さんと宇沢は生前ご縁がありました(チャイルド・リサーチ・ネット「子どもを粗末にしない国にしよう〜社会的共通資本の視点」参照)。
福武さんは「自然こそが人間にとって最高の教師」「在るものを活かし無いものを創る」「経済は文化の僕」を標語にされています。すでにあるものを破壊し新しいものを創るほうが金銭的な経済活動は大きくなるかもしれません。しかし、破壊から始まる社会には限界が来ています。あるものを活かすことに主眼を置いて新しく創造することが豊かさの源泉となるのではないでしょうか。
この7月に福武財団と共催でフォーラムを開催しました。宇沢の理論をいかに次世代につないでいくかを考えるうえで非常に示唆に富んだものとなりました。ベネッセアートサイト直島のホームページで動画も公開されているのでご覧いただければと思います。
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