宇沢弘文の「社会的共通資本」が今、響く理由 コロナ禍で社会に本当に必要なものがわかった

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病院はそこにあるだけでもいいとも宇沢は言っていました。いつでも医療が受けられるという安心感は金銭的なものに還元はできないのです。

私が臨床をしている神奈川県では、神奈川モデルとして、新型コロナ感染症への対策が行われ、感染者数が爆発的に増えるかもしれないというような状況でも安心して臨床を行うことができました。その対策は、例えば在宅で介護をしている人が感染した場合に、介護を受けている方や親が感染してしまった際に子どもたちが過ごせる場所を提供するなど、視野が広い対策でした。金銭的に換算できない効果を実感しました。

より良い医療を提供するため、国民の健康に寄与するために、もっと工夫すべきことがあるのも事実です。

UCLAの津川友介さんらがまとめた日本における特定保健指導の分析が2020年10月5日付JAMA(The Journal of the American Medical Association)に掲載されています。通称「メタボ健診」の効果が限定的であるということを述べています。効果が限定的であるからすべてがダメだというわけではありません。より良い形に整えていくのが重要なのです。

建設的な議論が必要で、目標は人々の“健康”を守ることであって、健診を効率的に行うことではありません。そのためには軌道修正が必要なのです。この事実を踏まえ新たな健診制度を構築していく責務も専門家集団としての医療者に課せられた使命であると思っています。

健康という概念も、1947年にWHO憲章で採択された「健康とは、病気でないとか、弱っていないとうことではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあること」といったものから、オランダで提唱されている「ポジティブヘルス」、すなわち「社会的・身体的・感情的問題に直面したときに、適応し、本人主導で管理する能力」に変化していく時期に来ているのではないかと感じています(参考図書:『オランダ発ポジティヴヘルス』シャボットあかね著)。

在宅で社会とつながりながら、その人らしく生きる

これまでは病院が病気の主戦場であり、生活の場というものを無視しても成り立つ構図がありましたが、多くの病が乗り越えられる現代では生活の場である自宅が主体になっていきます。そういった視線から能力としての健康が重要視されていきます。「病気や障害を持っていても、不幸とは限らない」。医療関係者がこういった感覚を持っていくことも必要です(参考記事:「健康は“状態”でなく“能力”なのだ。ポジティヴヘルス。」)

新型コロナウイルスの動態が明らかになり、無症状の人からの感染もありうるし、感染をゼロにすることは不可能であるということもわかってきました。日本では高齢者施設での感染症対策が適正に取られていたことなどから、死亡者数が低く抑えられていたと私は考えています。新型コロナの感染予防のために、社会とのつながりが断たれていることの弊害に鑑み、どのように社会をひらいていくのか、社会的コンセンサスが必要です。

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