「リンカン」以後、無名の大統領が続いた理由 トランプが目指すのは「黄金の1920年代」の幸福
石川:こうした時代に登場したのが、第26代大統領のセオドア・ローズヴェルト(1901年)です。ローズヴェルト家は建国以来の名門の一族で、アメリカの中では揶揄も含め“バラモン”(“旧来的な支配階級”といった意味合い)と呼ばれている階層に属する人です。つまり独立戦争から建国の頃に活躍していた名望家の末裔ですが、彼らが立ち上がります。
ここからは「革新主義の時代」と言われるのですが、セオドア・ローズヴェルト、それから第27代大統領のウィリアム・タフト、第28代大統領のウッドロー・ウィルソンの時代です。
連邦政府の介入が不可欠な時代へ
石川:実は革新主義というのは、産業資本主義が発展し、南欧や東欧からの新移民が安価な労働力としてアメリカに流入した時代に、それまで州レベルの小さな問題だったものが、全国的な社会問題になったことに対してさまざまな立場の人々が行ったさまざまな運動の総体なので、「革新主義とは何か」という定義は困難なのですが、大統領の政策に限定すると特徴を明確に示すことができます。
それは、連邦政府の権限を自覚的に行使して、州を越えて活動する民間のビッグビジネスに対して大統領が直接介入して、トラスト規制や独占禁止法などに実態を持たせることです。また、関税を引き下げて外国製品が入ってくるようにして、企業に競争をさせるようにしました。
佐々木:ようやく、われわれの知っている名前が出てきました。
石川:ローズヴェルトは、日露戦争において講和(ポーツマス条約)の仲介をした人なので日本でも知られていますね。また、アメリカの海外進出を本格的に行った最初の大統領ですし、ウッドロー・ウィルソンは第1次世界大戦のときの大統領です。
アメリカ外交政策でいうと、ローズヴェルトの「棍棒外交」とウィルソンの「宣教師外交」という雛型ができました。後にキッシンジャーが『外交』という著作のなかで、それらはアメリカの2つの特徴であると指摘しています。
イギリスの外交官のハロルド・ニコルソンは、「外交官にとっていちばん不適応なタイプの人間類型というのは弁護士と宣教師だ」と言っています。つまり外交というのは「大人同士の関係」であって、互いの国の歴史的経緯を深く知った教養人同士が、たとえ国民同士が争っていても外交官同士の見識で平和を維持する、というのが基本的な考え方なのです。そこでは、「法律論」や「説教」というのは最もしてはいけないことだと言っています。
ただ、アメリカ史の指導者は、宣教師と弁護士ばかりなのです。それが当然、外交政策にも反映します。これに関しては、アメリカ外交が洗練されていないという見方も可能かもしれませんが、しかしキッシンジャーに言わせると、このようなアメリカだからこそ冷戦に勝てたんだと主張しています。おそらくヨーロッパ風の手練れの外交官であったら共産主義諸国と共存共栄していて、気がついたら世界中は共産主義になっていただろうということです。これはつまり、アメリカの持っている宗教的な敬虔さからくる、ある種の宗教戦争も辞さずという性格、国柄なのかもしれません。
ウィルソンのときにアメリカは第1次世界大戦に参戦します。この大戦をきっかけにヨーロッパの凋落が始まり、今日に至るわけですが、ここからアメリカが西洋世界最大の大国として、国際政治の主役になっていきます。
ただ、アメリカにとっては、第1次大戦への参加というのは、同時に非常に大きなトラウマでした。もう嫌だ、あんなことはやるもんじゃないということで、急速に孤立主義に戻ります。この後の第29代大統領ハーディング、第30代大統領クーリッジ、第31代大統領フーヴァーも、一般的にはあまり知られていない大統領ではないでしょうか。この時代、アメリカは昔のアメリカ、金ぴか時代の頃に盲目的に戻りたがっていたのです。