団長安田「我慢強すぎる芸人」の波乱曲折人生 安田大サーカスを率いる男が歩いてきた道

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「とにかく目の前のことに集中すればいいかなと思ってます。面白いこと言うのは吉本の芸人さんに任せて、俺は勝負事に勝つとか、一生懸命我慢するとか、そういうテレビに求められることができたらいいと。お笑いは大好きだけど、ある意味お笑いを捨てた、みたいなとこがありますね(笑)」

ここ数年は、安田大サーカスの3人をそろって見る機会は減ってしまった。

「HIROくんは2017年に脳出血で倒れましたが、今は回復して故郷の和歌山県で活動しています。テレビで見なくなったから、心配されてる人も多いと思います。でも彼のYouTubeを見たら、東京にいるときよりずっといい顔してるんですね。生活できるお金はあるし、すごく彼らしくマイペースに生きてる。だから羨ましいなと思う部分もあります」

クロちゃんは「水曜日のダウンタウン」のドッキリ企画などで、大ブレイクした。押しも押されもせぬ人気の芸人になっている。

「いつか安田大サーカスで全国ツアーやりたい」

「クロちゃんがこんなにも注目されるとは思ってなかったけど、でも驚きはありませんでした。クロちゃんのあの独特な感性や、返しの速さなど、お笑い芸人としてのポテンシャルの高さは知ってましたから。

今はバラバラですごくいいと思います。でもいつか、安田大サーカスで全国ツアーやりたいなって考えてます。桐生市、函館市、小倉市、とか都市なんだけど、ちょっとだけマイナーな街を回りたいですね。たぶんクロちゃんは嫌がると思いますけど(笑)」

最近では、イベントの仕事や、自転車関係の講演会などの仕事が増えていた。

収入の割合も大きかったが、新型コロナの影響でそれらの仕事がゼロになってしまった。現在は多くのお笑い芸人にとって、非常に厳しい状況になっている。

「僕だけだったらもっと凹んでいたと思うんですが、ほとんどの芸人さんが凹みましたからね。みんなで一緒でダメになったんで、不思議と不安感はなかったです。

ただ『営業の仕事で食っていけるわ』と思っているつもりはなかったんですけど、でも心のどこかで甘えてた部分はあると思います。だからこれは試練だと考えて、もう1回テレビの仕事を一生懸命頑張ろうと思いました。そもそもテレビに出たくて、お笑いの世界に入りましたからね。

仕事が来るありがたさに気がつきました。今までも手は抜いてなかったつもりだけど、でも今は本気の本気で

『ありがとうございます』

と思えるようになりました」

「もっともっと頑張って、売れないと」と話す団長さん。頑張りすぎる芸人としての活躍を期待したい(筆者撮影)

最後にまた少しだけ、阪神・淡路大震災の話題になった。

2004年安田大サーカスが、「ABCお笑い新人グランプリ」の審査員特別賞を受賞した後、亡くなった同級生に報告に行ったという。

「彼はいつも『お笑い芸人になれよ』って言ってくれてたんです。だから一応報告だけはしようかなと思いました。今でも、彼やあの地震で亡くなった人たちに頑張らさせてもらっていると感じます。

でも……正直まだまだ全然ですね。こんなもんで終わっちゃダメです。もっともっと頑張って、売れないとって思います」

と、団長さんは締めくくった。

話をうかがっていると、団長さんの真っ直ぐで正直な気持ちがグイグイ伝わってきた。

これからも、頑張りすぎる芸人としての活躍を期待したいと思う。

村田 らむ ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター

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むらた らむ / Ramu Murata

1972年生まれ。キャリアは20年超。ホームレスやゴミ屋敷、新興宗教組織、富士の樹海などへの潜入取材を得意としている。著書に『ホームレス大博覧会』(鹿砦社)、『ホームレス大図鑑』(竹書房)など。

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