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団長安田「我慢強すぎる芸人」の波乱曲折人生 安田大サーカスを率いる男が歩いてきた道

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  • 村田 らむ ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター
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ほかの生徒よりは肉体的には厳しかった。

例えば、毎朝起きた直後に1.5~2キロくらいランニングしなくてはならない。

後輩をいびる先輩もいたし、高校生らしい青春はほとんどなかった。厳しさに耐えかねて、退学してしまう同級生も多かった。

「もちろん俺も辞めたいなあと思ったけど、せっかく入ったんだからもったいない。1年過ごしたら、辞めたらその1年無駄になっちゃうから、3年間いなきゃしょうがないな、って思いました。今も昔も

『まあ、しゃあないか』

と現状を受け入れちゃう性格なんだと思います」

ただ、それほど真剣にサッカーに打ち込んでいる訳でもなかった。

サッカーの練習には顔だけ出して、よくサボっていた。鳥取は海がとてもキレイだった。自転車で毎日のように海に向かった。

「子供の頃から、新品の自転車を買ってもらったことがなかったんです。ずっと使い古されたボロが回ってくるんです」

小学校時代は、知り合いから阪神タイガースの掛布選手の自転車をもらった。

父親には、

「よかったな、かっこいいやんけ」

と言われたが、団長さんは掛布選手の写真がプリントしてある自転車に乗るのは嫌だった。

「関西の子はそういうのいじりますからね。俺がその自転車で現れるたびに、みんなで六甲おろし歌われました。それが原因で阪神ファンにはならなかったですね。阪急ブレーブス子供会に入ってました」

ロードバイクとの出会い

高校で初めて新品の自転車を買ってもらった。新品の自転車は実に快適だった。

「こんなにスピード出るんだ!!って驚きました。でも、たまたま走ってたロードバイクにピャッと抜かれたんです。乗らせてよって頼んだんだけど、断られました。今思えば断って当たり前ですね。

そのときから、ロードバイクに興味を持ち始めました」

ただ、高校時代はロードバイクを購入することはなく卒業した。実際、ロードバイクを手に入れ、ハマるのはだいぶ先の話だ。

高校時代もずっとお笑い芸人に憧れていた。もちろんダウンタウンに対しては強く憧れたし、当時活躍しはじめていた、千原兄弟、ジャリズム、メッセンジャーなどの芸人たちに羨望の眼差しを向けていた。

「高校を卒業したら、すぐにお笑いに行くぞ!!って決めていたんですけど、勇気が出ませんでした」

卒業した後は、屋内スキー場で契約社員として働き、その後は先輩のつてで建築現場で働いた。

いつかお笑い芸人の道に進みたいとは思っていたが、なかなか踏ん切りがつかなかった。

そんなある日、阪神・淡路大震災が発生した。

団長さんの住む西宮は、被害が最もひどかった地域の1つだ。

近所の商店街はまるごと潰れてしまった。駅前のビルは倒壊していた。地形が変わってしまい混乱した。

道路では家屋が倒壊して道が塞がれ、自動車は進むことができなくなっていた。

あちこちで、ケンカをしている人たちがいた。夜になっても街灯はつかず、そして無性に冷えた。

「なにがなんだかわからなかったですね。当時インターネットはなく、テレビも見られなかったので、被害にあってるのは自分の周りだけだと思ってました。

なんでこんな悲惨な状態なのに、消防隊員も、自衛隊員も、誰も来ないんだ?って憤っていました」

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【生き埋めになった同級生の死】

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