北海道で「核のごみ処分場」に続々手が挙がる訳 背景には人口減や財政難など複雑な事情がある
海の生態系は再生してきているが、村の人口減は止まらない。平成2(1990)年に1596人だった人口は、30年間で818人まで減った。中でも深刻なのは村の将来を担う子ども人口の少なさ。15歳未満の子ども人口は72人、村全体の8.6%しかいない(2020年1月1日現在)。
さらに、2019年の年間出生者数は3人しかいなかった(2018年は2人、2017年は6人)。逆に老年人口は全国平均を大きく上回る44%。国立社会保障・人口問題研究所が2018年にまとめた将来推計では、2045年には現在の半分以下の391人に減るとの見通しが示されている。
村の人口減は止まらない
村にある学校は小学校1校と中学校1校。今年の新入生は小学校6人、中学校6人。小・中、共に1学年の生徒数が10人以下という超少人数教育である。財政も厳しい。令和2年度の一般会計予算は35億4600万円。村税収入は7380万円しかない。
その財源不足を地方交付税9億円、道支出金3億3741万円、そして村債13億6340万円などで賄っている。財政力指数はわずか0.09だ。
一方、泊原発との関わりは深い。村の記念誌を見ると、下記のような記述がある。
1979年 神恵内村議会が北電の変更案を承認。
1982年 神恵内村漁協と北電が漁業振興資金6億8000万円を本調印。
1983年 泊原発建設準備工事着手。
1984年 泊原発着工。泊原発にかかる地域振興資金調印5億円。電源三法交付金事業が開始。交付金総額12億2575万8000円。
1989年 泊原発一号機営業運転開始(6月22日)。
1991年 泊原発二号機営業運転開始。
商工会が提出した請願書にある「原子力と共存共栄の精神を持つ」という件は、こうした歴史を踏まえてのものだろう。
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