日本が「都市のIT化」で世界に遅れた苦い事情 「スマートシティ」が日本で実現しなかった訳
2008年のリーマン・ショックの後、IBMはITでイノベーションを実現する新ビジョン「Smarter Planet(賢い地球)」を提唱し始める。
ITを活用してエネルギー、上下水道、交通渋滞、物流、医療・ヘルスケアなど、さまざまな社会課題をトータルで解決しようという提案だ。その中に、スマートシティという概念が組み込まれていた。
2008年暮れの選挙で勝利したオバマ大統領は、2009年1月にホワイトハウスにパルミサーノ氏と、航空機器メーカー「ハネウェル」CEOのデービッド・コート氏を招いた。
パルミサーノ氏は、アメリカの経済界を代表して、医療(ITヘルスケア)、電力(スマートグリッド=賢い電力網)、教育とブロードバンド(デジタル通信網)の3分野への積極的な投資を進言した。
直後のアメリカ議会では、1930年代のニューディール政策以来となる、史上最大の景気対策が可決された。「Smarter Planet」の考え方を強く反映した戦略投資「グリーン・ニューディール政策」がスタート。これを機に世界中にスマートシティ・プロジェクトが拡散していく。
日本のIT戦略はどう進んできたのか
日本でも、小泉純一郎内閣が発足した2001年から、国家IT戦略「e-Japan戦略」がスタートし、郵政民営化など経済構造改革が始まった。しかし、2003年に金融機関の不良債権処理がほぼ終わるとミニバブルが発生し、「IT革命」は尻すぼみとなっていく。
小泉内閣のあと、2006年9月に発足した第1次安倍晋三内閣では、安全保障政策や北朝鮮による日本人拉致問題に力を入れる。その一方で、2008年7月に開催予定の北海道洞爺湖サミットに向けて、地球温暖化対策や経済構造改革に向けた準備を進めていた。しかし安倍首相は体調を崩して、わずか1年で辞任した。
その後を引き継いだ福田康夫内閣では、2008年2月に経済財政諮問会議の下に「構造変化と日本経済」専門調査会(座長・植田和男東大教授=当時)を立ち上げ、サミット開催直前に報告書「グローバル経済に生きる―日本経済の『若返り』を―」をまとめた。
この報告書は「パルミサーノ・レポート」を強く意識したため、通称「新・前川レポート」と呼ばれる。10年後のわが国の経済社会の姿として「開放的なプラットフォーム」の構築と、「魅力ある経済システム」へのパラダイムシフトを打ち出した。
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