日本が「都市のIT化」で世界に遅れた苦い事情 「スマートシティ」が日本で実現しなかった訳
2020年9月、都内で「スマートシティ」が相次いでオープンした。ソフトバンクの新本社が移転する「東京ポートシティ竹芝」と、羽田空港の天空橋駅近くに隣接する「羽田イノベーションシティ」である。
さまざまなロボットが動き回り、自律走行バスの運行する様子がテレビなどでも大きく報じられた。
しかし、これだけを見て、「スマートシティとは何か」を想像するのは難しい。日本でもにわかに注目され始めたスマートシティの過去、未来、そして現在を、3回に分けて探る。
「スマートシティ」の始まりはいつ?
スマートシティというワードを聞くと、筆者は坂村健・東京大学名誉教授(現・東洋大学教授)が、1980年代後半に提唱した「トロン電脳都市」を思い起こす。人間のような頭脳(人工知能)を持ち、便利で効率的なサービスを提供する未来都市が描かれていた。
スマートシティも、都市・地域で生活する住民に必要不可欠なエネルギー、交通、インフラ、金融、教育、医療、食糧などのサービスを、最新のデジタルテクノロジーを使って便利で効率的に受けられる社会を実現しようという構想だ。実際に都市をスマート化する取り組みが始まったのは、2000年代の後半からである。
2002年にIBMのCEO(経営最高責任者)に就任したサミュエル・パルミサーノ氏。ITバブル崩壊や同時多発テロ事件などによるアメリカ経済の停滞を打ち破ろうと、2003年に産官学リーダー400人以上を結集して委員会を立ち上げた。
2004年には「国家イノベーション・イニシアティブ最終報告書」、通称「パルミサーノ・レポート」を公表。当時のブッシュ大統領に実行を迫った。
同レポートは、レーガン大統領時代の1985年に産業競争力委員会から提出された「ヤング・レポート」以来の衝撃を持って受け止められた。
ちなみにヤング・レポートを参考にして1986年4月に、日本でも中曽根康弘内閣によって、その後の日本の経済政策に大きな影響を与えた「前川レポート」がまとめられている。
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