中国の将来を明確に予測することは容易ではない。しかしそれは、改革派の目指した「法による支配」の改革が死んだことを意味するわけではない。過去の変革は、変わらねばならないときに、その意思をもって行動するリーダーがいたときに可能であった。そのような状況は、過去に何度も起こったし、今後また起こるのも間違いない。
ピルズベリーは、「中国は当初より『中国の夢』という明確な野心をもっており、その実現のためには手段を選ばない」「内部に鷹派とハト派の違いはあっても、それは対外的に使い分けるだけで、本質は同じ」との考えである。
思い込みから出発するとしっぺ返しを食らう
筆者は、中国人の「中国の夢」は何通りもあり、そこに行きつくまでの理念、思想、方法など人々の考えも多様であることを見てきた。文革の奈落から這い上がるために始まった改革1.0、「天安門事件」という大きなコストを払って進んだ改革2.0、中国の巨大化から生まれた「新時代」改革3.0、どれをとっても紆余曲折の連続であり、当初からまっすぐの道が敷かれていたものはない。
魯迅は、「道は最初1人が、そして徐々に多くの人が歩くことによってできた」と言った。通常、その時代を形成する条件やファクターはその時代ができる前にすでに存在していたものだが、そこには人の選択があった。14億人の世論や指導層の思想、立場、利益等のぶつかり合いを通し、選択され、歩み続けることにより、時代に方向性――道が出来上がってきたのだと思う。
われわれは、そういう大国と対峙することを肝に銘じなければならない。思い込みから出発すると、将来必ずしっぺ返しを食らうことになる。それは中国のせいというよりも、われわれの問題なのだ。
(徳地立人/アジア・パシフィック・イニシアティブ シニアフェロー)
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