中国「紆余曲折の改革」がまだ途絶えていない訳 過去に何度も起こったし、今後もまた起こる

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南巡講話に刺激され、全国における「改革開放」再到来の機運は一気に高まり、1993年10月、中共第14回代表大会において、新たに財政、税制、金融、外貨管理、国有企業、社会保障など政府、企業、社会三者一体の全面的な市場化改革を推し進めることが決まった。共産党の指導の建前上「社会主義」という言葉は残っているものの、内容は「全面的市場化」改革だった。

1992年以降、中国が市場経済化に大きく舵を切ったのを見て、アメリカをはじめとした各国は、中国のWTO加盟交渉を再開した。

WTOに加盟するためには、市場開放や直接投資に対する規制緩和、知的所有権保護の強化、法制度の整備など多くの義務が負わされる。とくに米中合意では、市場開放の明確な数値目標を数多く盛り込み、それを達成するためのロードマップまでも明記している。これは中国の国際公約を意味した。したがって、中国のWTO加盟は中国の改革開放政策を促したという点で、鄧小平の「南巡講話」に比肩すると言ってよい。

WTO加盟により中国経済はさらに開放的になり、GDP、貿易、投資は大きく成長し、「世界の工場」と言われるまでになった(下図参照)。

                 

比較的順調だった「改革2.0」の「国進民退」

当然抵抗や障害もあったが、改革2.0の前半は比較的順調に進んだ。

1. 危機的状況から出発した改革への、指導層の認識が比較的明確だったこと
2. 朱鎔基を代表とした理論と情熱を持ち合わせた優秀な改革派の官僚チームがいたこと
3. WTO加盟という国際公約の大義名分があったこと

などが理由に挙げられるだろう。

順調に見えた改革も、胡錦涛、温家宝時代(2002~2012年)の後半、とくにリーマンショック後には進まなくなり、「国進民退」(国が民間企業を圧迫する)現象まで起こった。改革が一巡し、経済の高成長が続いたこともあるが、最大の理由は既得利益集団が至る所にはびこり、政府組織ががんじがらめになり、政治改革が置き去りになってしまったためだ。

そのため、経済成長が実現すれば縮まると思った貧富の格差や都市と農村の格差は逆に広がり、社会保障制度の遅れや環境汚染の悪化、過度なインフラ投資によるGDPの2倍以上の膨大な負債など、多くの問題が顕著になった。急速に進む少子高齢化など構造的問題も先鋭化した。

中国を代表する改革派の経済学者、呉敬璉教授は、改革の早い段階でこのような構造問題を指摘し、国の根本的な改革「改革的頂層設計」(マスターデザイン)を提唱した。

また、呉氏は著書「当代中国経済改革」(2004年)において「われわれの改革の前には2つの前途が横たわる。1つは、政治文明の下での法治的市場経済の道で、もう1つは、『権貴』(権力と癒着した新しい階級)私有化の道だ」と書き、警告を鳴らした。これは鄧小平の「黒猫白猫」改革への修正を意味していた。

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