中国「紆余曲折の改革」がまだ途絶えていない訳 過去に何度も起こったし、今後もまた起こる

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改革1.0に明確なガイドラインがあったわけではない。しかし、基本戦略はあった。鄧小平の3つの語録がそれを象徴する。「韜光養晦」「石を探りながら川を渡る」と有名な「白猫黒猫論」がそれだ。経済成長には安定した外部環境が必要なので、実力にそぐわない野心は持たず、慎重に、ただしなんでも試してみようという、現実的な戦略である。

鄧小平によって進められた改革1.0の最大の特徴は、「計画経済+アルファの改革」だ。それは、やりやすいところから始め、インセンティブを用いることによりコンフリクトを避けるやり方だ。その結果、生産計画、資金提供、買い取りまで国が面倒を見る既存の「社会主義計画経済」と、新しいマーケットメカニズムによる「市場経済」の2つの制度が並行する「双軌(2つのレール)経済」が生まれた。

「双軌経済」により、中国経済は大きく成長した(下図参照)。

(外部配信先では図表を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください)

「双軌経済」は中国社会に矛盾も生み出した

「双軌経済」は成長を促したが、中国社会に大きな矛盾も生み出した。農村部と都市部、沿岸地域と内陸部の経済格差が拡大し、投資認可、土地使用、融資などに権限を持つ政府と企業間に「レントシーキング」(癒着、腐敗)が蔓延し、官僚や幹部の子弟の汚職や腐敗も深刻になった。また1980年代後半には価格改革により激しいインフレが起こり、大衆の政府に対する不満が高まった。

1989年6月、そのような背景の中で天安門事件は起こり、改革は一時中断する。この事件を一言で評価はできないが、指導層の政治経済改革に対する考えの違いが悲劇を生んだ、ということだけは間違いない。

2. 改革2.0(1992年~2012年):「全面的市場経済化」改革

天安門事件後、力により社会安定は戻ったが、経済成長は停滞した。改革開放政策を続けるのか、否か、誰もが中国の前途を不安視した。当時87才になっていた鄧小平は、西側諸国大方の予想に反し、局面打開のため、全面的な「市場経済化改革」を決断する。

1992年初め、武漢、深圳、珠海、上海の南方4都市を訪れた鄧小平は、道すがら「発展是硬道理(発展は根本の原則だ)」「改革しない者は、誰であれすぐに辞めろ」とぶち上げ、政権中枢の「保守派」を強く牽制し、さらなる改革を促した(南巡講話)。

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