「仕事がデキない東大卒」が陥るただ1つの失敗 プライドが肥大した「東大までの人」には要注意
受験生のころに頭のなかに思い描いていた理想の自分と、東大に入ってから突きつけられる現実――そのギャップを認識したうえで、「自分は決して特別な人間なんかじゃない」と開き直ることができれば気は楽になる。さらに「せめて、いまの自分にできることを一生懸命にやろう」とまで考えが至れば、前向きに生きていける。
僕にかぎらず、大半の凡庸な東大卒業生は、そういう気持ちの折り合いをつけて自らの人生を生きているはずだ。しかし、ごく一部に、現実を受け止められず、かといって努力で現実を克服しようともせず、東大以外の大学とその学生・卒業生を見下すことで、精神の安定を保とうとするものたちもいる。
それが、「プライド肥大型」の東大卒だ。彼らのものの見方は、「平家にあらずんば人にあらず」ならぬ「東大卒にあらずんば人にあらず」である。
なぜプライドが肥大してしまうのか?
このような特権意識が形成されるのに理由がないわけではない。事の起こりは、彼らが東大受験生だった時期だ。
一般的に東大を受験しようとするとき、高校の授業や独学では情報量が足りない。そのため受験生の多くは現役・浪人を問わず予備校に通うことになるのだが、志望校を東大1本に絞って専用の試験対策をとることで勉強の効率は大幅にあがるため、たいていは各予備校に設置された「東大受験コース」を受講する。
営利企業である予備校は受験生に最大の成果を与えるためにカンニング以外のことはなんでも指導する。そのなかには、「自己暗示」のようなメンタルのトレーニングもある。
これは、スポーツ選手がよく行っている訓練で、試合前に「自分は絶対に勝てる」「勝って当たり前」といったポジティブな思考を脳に徹底的に刷り込んでおくというものだ。この暗示によって、試合本番に緊張や不安によってパフォーマンスが低下することを防ぐ。
受験生も競い合いという点ではスポーツ選手と同じなので、予備校ではスポーツ選手さながらの暗示が施される。具体的には、「東大なんて受かって当たり前」という意識を受験生の脳に刷り込み、受験本番でも一切動じない「東大受験マシン」に仕立て上げるのだ。
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