「仕事がデキない東大卒」が陥るただ1つの失敗 プライドが肥大した「東大までの人」には要注意
実際、僕が受験生のときに通っていたある予備校の東大受験コースでは、人気講師の1人がお題目のように「東大京大、当たり前。早慶上智は滑り止め。関関同立、試験慣れ。明青立法中は受ける価値なし」という文言を繰り返していた。
「東京大学や京都大学は受かって当たり前の大学だ。早稲田大学、慶應義塾大学、上智大学は滑り止めで受けるような大学で、第1志望とするに値しない。関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学は、大学入試の雰囲気に慣れるために受けてみてもいいが、それ以上の価値はない。明治大学や青山学院大学、立教大学、法政大学、中央大学に至っては、受験するだけ時間と受験料の無駄である」そんな意味だ。
この手の暗示は受験本番で非常に有効なので、どこの予備校でも多かれ少なかれ受験生に対してこのようなメンタルトレーニングを行っている。
「学歴カースト」を脳に刷り込まれた東大生たち
インドにはカースト制度という身分制度があるが、先に挙げたようなことは、いわば学歴におけるカーストである。僕が現役の受験生だったころから大学の偏差値ランキングも多少は変動しているが、いずれにしても、この学歴カーストを脳に刷り込まれた後、晴れて受験戦争を勝ち抜いた東大生のなかには、「当たり前」以外の大学を見下すものが出てくる。
恥ずべきことに、僕も入学した当初は、この学歴カーストに影響されて、駒場キャンパスのなかを根拠のない自己肯定感とともに闊歩していた(一応の弁解をしておくと、1年生の5月ごろまでの話だ)。
ただ、少しは世間を知れば、「学歴など無数にあるパラメーターのひとつでしかない」という至極まっとうな事実に気づき、先に書いたような歪んだ価値観は正されていくものだ。普通の人なら、それくらいの修正力はある。
ところが、東大に入った時点で人間的成長が止まり、卒業して社会の荒波にもまれてさえ考え方を変えられないものもごくまれにだがいる。
そういう人は仕事にしても人間関係にしても、自分の考えに固執し、誤りを決して認めず、いつだって他人をバカにしていて話を聞かない。それでいて、たいていは仕事のセンスも悪いものだから、「あの人は東大を出ているのに使えないよね」なんて陰口をたたかれることになる。
あなたの職場にも、このような東大卒の人間はいないだろうか。
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