民俗学から学ぶ感染症で亡くなった人の弔い方 対面が叶わない中で、どう故人を供養するか

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基本的には法要に弔辞がついた形態だ。同日行ったのは31カ所である。後日行った地域もあり、式場のほとんどは寺院で、法要の形態だった。その後、慶応義塾同窓による追悼会や学生による追悼会も行われた。

一方、大隈重信は、1922年(大正11年)1月10日、早稲田の大隈邸で亡くなった。葬儀は17日、日比谷公園で出雲大社教による神葬式で行われ、同日夕方、音羽の護国寺に埋葬された。葬儀当日、追悼会が23カ所で行われた。大隈が元勲であったことから、旧植民地の京城、本山、大連などでも行われ、大学本部では後日、追悼会も行っている(『早稲田大学学報』235・236号)。

死者への供養をサポートすることが大切

このように、福沢諭吉にしろ、大隈重信にしろ、場所を変えてもその追悼の想いを共有する人々が集まったのだ。

以上、新型コロナ感染死者の遺族が、現状の事態に対して向き合うことに参考になるような民俗的対応について見てきたが、その時々の状況に応じてさまざまな工夫が凝らされていたことがわかる。また、このような事例をみても、現状の事態に対し、さまざまな工夫の余地があると思われる。

いったん減少した新型コロナ感染死者数も再び増加してきており、現状の死者に対する対応では、故人に向き合えない遺族がますます増えていくことが懸念される。

山田教授は「深い悲しみに陥っている遺族にとっては、少しでも通常の儀式に近づけていくことが必要です。それが死を受容することにつながりますので、近づけようとする実践のプロセスが重要なのです。結果的に何もできなかったとしても、プロセスにおける作業がひとつのグリーワークとなり、いくらかでも慰められていくのです」と指摘する。

そのプロセスに寄り添い、一緒にできることを考えていくことで、死者の供養をサポートしていくのは宗教者、葬儀社、火葬場などの葬祭事業者であり、葬祭事業者に課せられた課題でもあるといえよう。

塚本 優 終活・葬送ジャーナリスト

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つかもと まさる / Masaru Tsukamoto

北海道出身。早稲田大学法学部卒業。時事通信社などを経て2007年、大手終活関連事業会社の鎌倉新書に入社。月刊誌の編集長を務める。2013年フリーライターとして独立。ライフエンディングステージの中で「介護・医療」と「葬儀・供養」分野を中心に取材・執筆している。ポータルサイト「シニアガイド」に「終活探訪記」を連載中。「週刊高齢者住宅新聞」などに定期寄稿。

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