36歳崖っぷちボクサーが「奇跡」を起こした背景 テレビの枠に収まらなかった男の挑戦を本に

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最初は放送3回分で取材を終えるつもりだった。ボクシングに興味はないし、次にやりたい企画もあった。でも試合をするごとに彼は強くなり、奇跡の歯車が回り始めたというか。結局、9カ月で5試合やることになり、連続ドキュメンタリーとして11回放送した。チャンピオンになれる可能性なんて考えづらいのに、ジムの会長は「そんなのわからない」と言いながら金のかかる遠征試合を何度も組んでいた。僕も周りも挑戦に狂わされていくような感じだった。

20年のキャリアを9カ月に濃縮させていた

──取材を通し強くなったのでは。

それはある。全国に放送されるので挑戦から逃げられない。米澤さんは僕と対話を重ねたことが「自分を考え直すきっかけになった」と言ってくれたが、決して周りに流されたわけではない。毎日、鶏肉を食べ青汁を飲み続け、夜勤明けでトレーニングに遅刻しないようドトールで仮眠を取る生活を送っていた。別にカメラが回っていなくても、強くなるための生活を自ら望んで続けていた。

彼は14歳で格闘技を始め、20年のキャリアを9カ月間に濃縮させていた。もともとはレスリングが得意だから、だんだん身のこなしがレスラーみたいになっていった。取材開始の1カ月前は引退を考えていたくらいだったのに、気持ちを完全に切り替えて努力していた。

取材を始めた頃なら、シェリントン(4試合目に対戦した世界10位のボクサー)に一発ノックアウトされていたのではないか。本番でも2ラウンドまでだろうとか言っていたら、9ラウンドで勝ちそうになるまで追い込んだ。いちばん驚いたのは、彼をなめ切っていたシェリントンだったろう。

──王座決定戦のきっかけは山本さんのふとした一言でした。

めちゃくちゃな展開だった。本来なら取材者が対象者に影響を与えてはいけない。それなのに僕が強い影響を与えてしまい、取材後にくすぶり続けるきっかけになってしまった。放送では僕が介入したと描けないので、いつの間にか決まったことになっていたが。

──文章にして気づいたことは?

自分を掘り下げることになった。なぜ米澤さんが面白く、彼にひかれたのかを、書くことを通して発見できた。また、彼の試合はチマチマとボディーを狙うばかりで映像映えしない。文章だと会長やトレーナーの声を書けるし、戦法や狙いどころを説明できる。派手なボクサーではないから、本のほうがテレビよりも試合を面白く描けることに気づいた。

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