「1600種の貝殻集めに半生捧げた男」の驚き人生 情熱かけたコレクションは作者の死後も心打つ
ひとりの人間が情熱を込めて集めたコレクションは、美しさや資料価値を超えて感情に訴えかけてくるものがある。そんなコレクションとの出会いが最近あった。普段は行かない図書館へ資料を探しに行ったら、入り口に8つのショーケースに収められた美しい貝殻の標本があったのだ。
ただひっそりと置かれていたのだけど、よく見てみるとすごく丁寧に作られた標本だった。色鮮やかで美しく、ユニークな貝殻の色や造形に私はすっかり魅了された。標本の製作者・古川美年生(みねお)さんはどんな方なのだろう?
司書の方に話を聞いてみると、古川さんの著書『荒海に生きる貝のふしぎ』を持ってくると同時に、すでに故人であることを教えてくれた。今年95歳で亡くなったそうだ。
「もっと早く気がつけば……」と思った。ライターとしてあちこち取材しているとそんなことの連続だ。それでも家に帰って調べてみると、鹿児島県伊佐市にある菱刈ふるさといきがいセンターに1600種3300個もの貝殻コレクションを寄贈していたことがわかった。さらには、2000年から『月刊シルバー・エイジ』で2年6カ月にわたって貝殻にまつわる連載記事を書いていた。
もう古川さんに話を聞くことは叶わないのだけれど、著書や連載記事を読み、さらに親族を訪ねて話を伺うことで、古川さんが貝殻へ注いだ思いがおぼろげながらも見えてきたような気がした。この記事では貝殻をめぐる古川さんの物語を紹介したい。
「貝殻に人生を捧げた」ある男の人生
古川さんは1925(大正14)年、鹿児島県伊佐市の湯之尾集落に生まれる。鹿児島県随一の米どころである伊佐市は山に囲まれた盆地だ。
青い稲穂揺れる水田風景、これがきっと古川さんの原風景だろう。古川さんの甥であり、大口歴史民俗鉄道記念資料館の専門指導員である原田純一さんは言う。
「伊佐の子どもは海を見る機会がありません。自分が子どもの頃はどこも貧しかったから海水浴なんて行ったことがなく、叔父の子ども時代は戦時中だからなおさらでしょう。だから叔父は晩年『海のない伊佐の子どもに貝殻を見せたい』と郷里にコレクションのほとんどを寄贈しました」
古川さんは長年かけて集めた貝殻をいくつかの施設に寄贈したが、一番多くの数・種類を贈ったのは菱刈ふるさといきがいセンター2階の郷土資料館だ。
教育委員会に電話で直訴し、通いながらレイアウトまですべて自分でこなした。
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