BLMと「協同組合大国アメリカ」をつなぐ点と線 「ウォール街を占拠した若者」が今取り組む仕事

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ちなみにルムンバの息子のチョクウェ・アンターは父と同じく弁護士で、2015年に地元ミシシッピ州の黒人男性が警察官に押さえつけられた後に死亡した事件では遺族の弁護を引き受けている。

「この事件はブラック・ライブズ・マター運動のうつろいやすい関心を捉えて引火する可能性をはらんでいたが、全米の注目は長くは続かなかった」と、シュナイダーは書いている。ブラック・ライブズ・マター運動がいずれ爆発するのは時間の問題だと彼は予感していた。

ウォール街を占拠した若者たちのその後

2011年の「ウォール街を占拠せよ(オキュパイ・ウォールストリート)」という抗議デモをご記憶の方は多いだろう。

2008年のリーマン・ブラザーズ破綻に端を発した世界金融危機のあおりを受け、多くの若者が就職難に苦しんだ。危機の原因を作った金融機関を救済する一方で市民の生活を放置するアメリカ政府に抗議し、若者たちがウォール街を埋め尽くす大規模デモを行った。

背景には、1970年代から拡大し始めた上位1パーセントの富裕層と多数派を占める中流層の経済格差がある。デモの若者たちは「We are the 99%」というスローガンを叫んだ。

ウォール街を占拠した若者たちはその後、どこへ行ったのだろうか。シュナイダーが『ネクスト・シェア』を書いたきっかけは、この時期に世界各地で行われた抗議活動の後、活動家たちの一部が協同組合を作り始めたのに気づいたことだった。

2012年10月にハリケーン・サンディによって壊滅状態となったニューヨーク市ロッカウェイ半島の復旧作業には「ウォール街を占拠せよ」デモで意気投合した若者たちのボランティアグループが活躍した。彼らは被災した住民の生活再建の手段として協同組合を設立した。WORCs(労働者所有ロッカウェイ協同組合)から5つの協同組合事業の卵が地域に誕生した。

オキュパイ運動が起きたのはアメリカだけではない。ニュージーランドでも「オキュパイ・ウェリントン」デモが発生した。その野営地で行われた集会のプロセスから、コラボレーションと意思決定のツールアプリLoomio(ルーミオ)が生まれた。

開発したのはエンスパイラルというグループである。エンスパイラルはもともとソフトウェア開発者のジョシュア・バイアルが個人的にやっていたコンサルティングビジネスの名称だった。

バイアルは有給の仕事に使う時間を減らしてボランティアプロジェクトにもっと時間をかけたいと考え、エンスパイラルを仲間とギグワークの機会をシェアして自由な時間を作るための場に変えた。

やがてエンスパイラルはコアメンバー40人以上、ネットワークの参加者約250人、小企業15社を抱えるまでに成長した。標準的な有限責任会社だが、自身では財団を名乗り、協同組合として運営している。

彼らは企業から仕事をもらってボランティア活動中の生活をまかなうやり方には徐々に頼らなくなり、社会貢献活動を組み込んだ仕事や会社を自分たちで作り出すようになっている。

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