双葉駅は、6月に訪れた段階では駅と駅前、町コミュニティセンターのみ立ち入り可能で、観光案内所の役割を果たしていた。担当者は「事故当日の海風によって汚染が進んだが、最も汚染がひどかったのはここより内陸部の浪江町の山間部だった」という。双葉駅を復興のシンボルとしてぜひ駅を訪れてほしいと語っていた。
次いで原ノ町駅を訪れた。この付近は2009年2月に沿線を取材したことがあり、その時思いがけず原ノ町駅で駅弁の立ち売りに遭遇して感激し、名物の「浜のかにめし」を購入してロングシートの電車内で食べたものだ。この駅弁は駅前の「ロイヤルホテル丸屋」の弁当部が構内販売と立ち売りをしていた。
震災後に駅弁は撤退したと聞いていたので、その消息を求めて「丸屋」を訪れた。ホテルは現在改築中で駅弁店舗も存在していなかったが、駅弁と共に人気のあった駅ソバは駅前のホテルの敷地内の仮店舗で営業中で、懐かしいホームの駅ソバにありつくことができた。
11年前の途中下車の思い出
新地駅は2009年2月の取材時に気まぐれの途中下車をした思い出のある駅で、震災後に訪れるのは今回は初めてだ。
復興した新地駅を目の当たりにして、あまりにも変わった駅と周辺の姿に驚いた。現在の駅は内陸部に移動して土地はかさ上げされ、新線で結ばれている。駅前はホテル、公共施設が建ち震災前の面影は全く感じられなかった。通りかがった地元のお年寄りに聞いても、元の駅舎の位置は特定できないほどの変わりようだった。
11年前、この駅に途中下車した理由は今となっては定かでない。たぶん、赤い屋根の平屋の木造駅舎にひかれて降りたのだったと思う。当時の駅前には民家がポツリポツリ、周りは広大な田園が広がり、駅前の無人タクシー営業所の電話でタクシーを呼び、おばさんの運転手に「付近の見どころを30分で回ってほしい」と言ったことは覚えている。
その時は海岸の漁港まで走ったが、駅と海がこんなに近いとは思わなかった。そしてその2年後、3.11の悲劇。停車中だった列車や駅舎は津波に流され、半崩壊の跨線橋に避難した乗務員は九死に一生を得たのであった。
いろいろ思い出が残る常磐線。まだまた帰宅困難地域が多く残るが、一日も早くかつてのような賑わいを見せてほしいと思うのは私だけではあるまい。
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