通勤不要になった人が失う自分と会社の一体感 テレワーク浸透で帰属意識や居場所が希薄に

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それでも通勤を強いられている人も多いが、コロナ禍以前よりもオフィス街で見かける人の数は減っている(撮影:今井康一)

コロナ禍でホワイトカラー層を中心に急拡大したテレワーク。緊急事態宣言が解除されて以降、通常勤務へと戻す企業が相次ぐ一方で、東京都などで新型コロナウイルスの感染者数が跳ね上がっていることなどから、慌てて再びテレワーク勤務を指示する企業も少なくない状況にある。また、今なお原則テレワーク勤務を継続している企業も少なくない。

今後、秋にかけても流行の大きな波が懸念されるため、テレワークの長期化に備える必要も出てくるだろう。ところが、すでにメンタルへルスの問題が指摘されており、「テレワークうつ」という言葉まで生まれ、巣ごもり特有のストレス対策が求められている。

終日オフィスではなく在宅で勤務することよって、社員は従来の「勤務場所」という「身体的な拘束」から解放されるのだが、それによって「場所性と直接性に基づく協働行為」が失われ、会社への帰属意識や仲間との一体感を持ちにくくなる。現在これが多くの企業で露見してきている。

職場という物理的な「場」に対するギャップ

最も本質的でかつ厄介な課題となるのは、アイデンティティー形成にとって重要な帰属意識だ。職場という物理的な「場」を切実に必要とする人々と、「場」がなくても困らない人々のギャップが顕在化していくのだ。

コロナ禍における新入社員のアイデンティティーの動揺がわかりやすい例だ。「オンライン入社式」や「オンライン研修」などが続くことで、重要な通過儀礼がバーチャルな空間の中でひたすら漂泊され、地に足が着いていないような「宙ぶらりんの状態」に戸惑うこととなった。これは、いわば「〇〇大学の学生」から「〇〇会社の社員」という帰属先の移行が、「物理的な地平」を欠いているために完了できていないように思えるからである。自分が本当に就職先のメンバーになったかどうかが判然としないのだ。

つまり、会社というコミュニティーに「社会的なアイデンティティーの縁(よすが)」を見出している人々は、コロナ禍で止むに止まれず見切り発車したテレワークの長期化によって似たような心理的危機に見舞われる。通勤のような空間的な切り替えがなくなり、対面のコミュニケーションはウェブ会議で行われ、外見上はノマドワーカーのような状態になってしまうと、名状しがたい〝モヤモヤ〟〝違和感〟に襲われ始める。

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