26歳アイドル「あの日、私を襲った事故」の真実 猪狩ともか「突然、看板が倒れ、下敷きに…」
救急車の中で救急隊員の方から、私の名前や家族の連絡先を聞かれました。言葉を発するのも厳しかったけれど、なんとか母の勤務先を伝えました。
近くの大きな病院に運び込まれて、肺にたまった血を抜く処置が行われました。
処置が終わり、意識が朦朧としている中、母が飛び込んできました。「とも、大丈夫?」見たこともないような、心配そうな顔……。
母も突然の知らせに、それは驚いたと思います。でも、私はずっと自分の身に何が起こっているのかわからなくて、ひとりで心細かったので、母の顔を見ることができて少しホッとしました。
ずっと気がかりだった仕事のことは、母が事務所に連絡を入れて事情を伝えてくれたとのことで、とりあえず安心もしました。
それから、レントゲンやCTなどの検査が始まりました。検査台への移動も激痛の連続。そのたびに痛みに耐えきれずにうめき声を上げてしまい、この世の地獄かと思いました。
CT検査のときは「息を吸ってください」「止めてください」と機械の音声で指示をされるのですが、とてもじゃないけど、そんなことができる状態ではありません。「いやいや、無理だよ!」と、心の中で叫んでいました。
私は知らなかったのですが、ここですでに「脊髄損傷」と診断されていたそうです。
別の病院に搬送されて緊急手術へ…
その病院では脊髄の手術ができないとのことで、緊急手術のために別の病院へ移動することになりました。一刻を争う状態だったそうです。移動先の病院には、脊髄手術のエキスパートがいるとのことでした。
そこからまた迎えの車に乗って、母とともに1時間ほどの距離を移動。私はずっと「息が苦しい」と訴えていました。
車の中で酸素マスクがつけられましたが、ラクになることはありませんでした。このとき、前の病院で血を抜いてもらったほうとは反対側の肺にも、血がたまっていたそうです。
でも鎮痛剤か何かの薬が処方されたのか、意識が混とんとしてきて、いつの間にか私は眠りに落ちていました……。
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