専門メディアが掘り当てた、ネットの"金脈" "孫正義の愛弟子"アイティメディア大槻社長が語る

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毎月のページビュー(PV、サイトが閲覧された回数)は約1億。専門メディアながら新聞社のサイト並みのPVを誇るアイティメディア。同社の歴史は、ソフトバンクによるジフ・デービス(コンピュータ関連の出版社)買収にさかのぼる。ジフ・デービスのITニュースサイト「ZDNet」の日本語版がそのルーツだ。以来、15年に渡り、ネットメディアに特化して事業を展開してきた。近年、新興メディアが次々と立ち上がる中では老舗の存在と言えるだろう。
同社を率いる大槻利樹社長は、創立4年目、社員数100名足らずの日本ソフトバンク(当時)に入社。ソフト流通部門を経て、1989~94年の5年半、孫正義社長の秘書を務め、ヤフージャパン設立にも携わるなど、激動期のソフトバンクを支えた経験を持つ。黎明期からネットメディアの拡大に力を注いできた大槻社長が目指すメディア像とは?

孫社長の「先見の明」

――そもそも、ソフトバンクがネットメディアを立ち上げた経緯は?

1995年、ソフトバンクは米ヤフーに出資し、インターネットに大きく舵を切るポイントがあった。当時、僕は出版部門でコンピュータやインターネットの雑誌のビジネスを手掛けていたが、ヤフージャパンの立ち上げ時に、広告の販売や商品作りの責任者としてかかわった。孫社長に、「ヤフーはネット広告で食べていくらしい。それを勉強してヤフージャパンでもやりなさい」と指示されてアメリカに渡り、雨漏りするようなオフィスでいろいろ教えてもらったものだ。

当時の孫社長は、「インターネットなら何でもいい。とにかくたくさん会社を作れ」と指示を飛ばしていた。その中で「出版やメディアはこれからネットにシフトしていく。今はコンピュータの使い方や製品情報を雑誌で勉強しているが、いずれはネットでやるようになる。早く出版もネット化したほうがいい」などと言われていた。そんな時、ソフトバンクはジフ・デービスの出版部門を買収する(1995年11月)。孫社長曰く「ジフ・デービスにZDNetというサイトがあるから、それをやってみろ」。これがネットメディアとしてのスタートとなった。

ネットメディアを始めて痛感したのは、出版と似て非なるモデルということだ。経営陣もサーバー技術やネットワークを理解できなければ、どこに設備投資すべきか判断できない。そこで、出版とは別会社でやるべきだと孫社長に提案し、「僕が社長をやります」と会社を立ち上げた。1999年の12月だ。当初は苦しかった。2000年にはネットバブルが崩壊する。ネットと出版を運営していた会社はネットが儲からないので出版に逃げ込んだが、当社は出版と分離していたので逃げ道がなかった。結果としてはそれがよかったと言えるのだが。

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