ノムさんが感じていた「プロ野球界への危機感」 日本の野球をもっと盛り上げるための視点

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聞くところによると、プロ野球界もいよいよ危機感を感じてきたようで、プロのOB選手などによる野球教室は全国各地で頻繁に開かれているそうだ。

私もヤクルトで監督を務める直前に、港東(みなとひがし)ムースという少年野球(リトルシニアチーム、オーナーは妻の沙知代だった)の監督を務めたことがあるから、子どもへの指導の難しさは痛感している。

子どもたちは野球の「や」の字も知らないでチームに入ってくる。そこで指導者が下手なことを教えれば、当然のことながら選手も下手になる。野球教室に参加しているプロのOB選手たちも、きっと子どもへの指導の難しさは感じているはずである。

今現在、学童野球、少年野球に携わっている人たちだけでなく、私のようなプロ野球OBも新たな情報、知識を身につけて、子どもたちを指導していく必要があると思う。

少なくなった「打てる名捕手」

キャッチャーというのは、肉体的にとてもハードなポジションである。9人のプレーヤーの中で一番苦労の多いポジションなのは間違いない。しかも、好リードをしてチームに勝利をもたらしたとしても、ヒーローはピッチャーになってしまうから、世間から評価されることもあまりない。

動きはハード、そして誰よりも考えて野球をしなければならない。キャッチャーは本当に一番大変なポジションだが、私はそこにとてつもないやりがいを感じていた。

「自分が指揮者となり、ゲームを支配できるのだから最高じゃないか」と。ハードなポジションであるがゆえ、守備と打撃を両立させることがなかなか難しい。そんな中、人気のないパ・リーグでなぜ私が注目されていたかと言えば、打撃力があったからである。私がそれまでの「キャッチャーは打てなくて当たり前」という球界の概念を覆したと自負している。

だが、私の現役時代、キャッチャーは「守備の人」という認識だった。

私が現役の頃は「名捕手」と呼ばれるタイプの選手が結構存在した。大阪タイガースや毎日オリオンズなどでプレーした私より少し先輩の土井垣武さんや、V9時代の読売ジャイアンツを支えた森昌彦(祇晶)などは当時を代表する名捕手だ。

だが、近頃のプロ野球を見ていると、どうも名捕手と呼ばれるタイプの選手がかつてよりも少なくなったように感じる。実はこのような「名捕手不在」の状況になる気配を、私はヤクルトで監督になる以前から感じていた。

ヤクルトで1990年から監督を務める直前、私は港東ムースという少年野球の監督をしていた時期があるのは先述した通りだ。

このとき、私は2年ほど監督を務めたが、子どもたちに野球を教えることの難しさを痛感した。そして、実際に子どもたちと触れ合う中で、「この先、何年かしたらキャッチャー人材難の時代が来るかもしれない」と感じた。なぜなら、キャッチャーをやりたがらない子どもがとても多かったからである。

野手をやっている選手を見て「こいつは肩もいいし、頭もキレるからキャッチャーをやらせてみよう」と思っても、みんな「キャッチャーは嫌です」と言う。理由を問うと「立ったり座ったり、しんどいから」と平気で答えるから、プロの世界も「数年後には名捕手不在の時代が来てしまうぞ」と危機感を抱いたのだ。

当時、ヤクルトの古田敦也のようなスタープレーヤーがいれば、状況はまた違ったのかもしれない。そうした意味では、当時のプロ野球界が名捕手不在からちょっとずつ変わっていく過渡期にあったとも言える。

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