そうは言っても、けっこうみんな頑張ってます!
こういうふうに書くと、論文審査にかかわっている人たちがみんな極悪人であるかのように思われてしまうかもしれないが、僕の意見はむしろ逆だ。たくさんの「審査に関わるみんなが頑張らないための悪条件」があることを考えれば、論文の審査制度は、これでもむしろよく機能していると思ったほうがいいかも。忙しい中、レフェリーをしてくれる同業者の方にはいくら感謝しても足りないくらいだ。
残念ながら論文をほとんど理解していないと思われるレフェリーレポートを受け取ることはよくあるけれども、びっくりするくらい鋭い意見が来ることも時々ある。当該論文と既存の研究との意外な関係を指摘してくれたりとか、思ってもみなかった応用先を教えてくれたりとか。
僕が編集委員として論文審査を依頼したレフェリーも、 論文の間違いを指摘してくれたり、もしくは結論が正しくても数学的な証明に間違いがあったらそれを指摘して、場合によっては正しい証明を送ってくれたりすることがある(レフェリーをしてくださった皆様、どうもありがとうございます!)。
「正しい」かどうかの答えを、そもそも誰も知らない
「レフェリーなのだから、書いてあることが正しいかどうかを見つけるのが仕事だろう」と思われるかもしれないが、僕の経験ではこれは「言うは易し、行うは難し」の典型だ。
僕の専門の「マーケットデザイン」やもう少し広めにくくった「ミクロ経済理論」の分野では、新しい発見は数学の定理という形で表現されるわけなのだけれども、新しい発見をつづる論文というものは、そもそも誰も正しいかどうかをこれまで知らなかった事柄について書いてあるのだ。
ということは、論文を読むほうも正しいか正しくないかわからないまま読み進めるしかない。これってたとえば、間違いがあるとわかっている文章を読んでそれを見つける「間違い探し」よりもはるかに難しい。
しかも間違った定理の証明は、往々にしてわかりにくく書かれているから(わかりやすく書けていれば普通は著者自身が間違いに気づくはず)、証明の論理的なステップがどこで間違っているのかをちゃんと理解するためには、やたらと労力がかかる。そして、そうこうしている間にも自分の限られた研究時間が減っていく……。
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