日本と「世界の経営学」がこんなにも違う理由 「大学で教える経営学」は本当に役に立つのか

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入山:とはいえ、経済学や経営学でも、ある一定の条件だと再現可能なものはすでにかなりあります。例えば、マーケティングの世界では、データ分析をもとに、方程式を作って予測するとそれなりに当たったり、マイケル・ポーター教授のSCP理論にしても、独占に近いほうが儲かりやすいという法則性はほぼ明らかですよね。

でも、それは100%ではない。自然科学はよほどのことがない限り「外れない」のに対し、人間の科学はそれなりに外れるけれども、大まかな予測ができる。そういう感覚だと思うのです。むしろ重要なのは、とりあえず組織を作った後で、なんで自分はちゃんと組織が作れたのか、失敗したのかと、論理的に説明できることではないかとも思います。

拙著もそうなのですが、ビジネスパーソンにとって「経営理論は自分のやりたいこと、やってきたことを言語化して説明できるツール」だと思っています。

井上:振り返りができるという話ですね。ただし、研究者になろうとする大学院生を見ていて思うのは、どうでもよい細かいことで、重箱の隅をつつくような研究に入り込みやすいことです。変数を1つ加えて統計的に有意になればよいという世界で、それで説明力がどれだけ高まったかは省みられなくなる。

海外のスタイルや様式を使いつつも、問題意識の志や面白さが足りない。現実の経営では、「そこさえ押さえればいい経営ができる」というように、もっと大事なことがほかにもあると思うのです。

入山:面白いご指摘ですね。海外でもそこは問題視されているように思います。特に、「Pハッキング」と呼ばれるように、いかに統計的に有意な結果を特定の変数で出すかという姿勢がよろしくない、という流れに最近はなっています。

経営学は本当に役立つのか?

入山:ここまでの話の中で感じたのは、おそらく井上さんの問題意識の背景には、「経営学は実学だから、役に立たなくてはならない」という感覚があるのではないでしょうか。

井上:まさにそのとおりです。私の学部時代の指導教授の丸山康則先生は、産業心理学で博士号を取得された後、実務家として企業の研究所で鉄道事故など人の生死がかかった切実な状況で安全学を究めました。

その先生から、心理学の切り口は小刀みたいだが、経営学はそういうものではない。多様な理論がある「マネジメント・セオリー・ジャングル」の時代に、小刀を持って歩いても進めないから、あなたは大ナタをふるいなさい。もっと大きなもので切ったほうが、経営はわかってくるよ、と指摘されたのです。

入山:それは、マクロ的なことをやれという意味でしょうか。

井上:それは、大局を見る「ものの見方」という意味でのパースペクティブだと思います。そのときに引き合いに出されたのは、梅棹忠夫先生の『文明の生態史観』のような観点です。私の大学院時代の師匠の加護野忠男先生(神戸大学名誉教授)も25年前にまったく同じことをおっしゃっていて、驚かされました。

「ものの見方」や「考える軸」という話をして、テクニカルなことは、大学で学ぶビジネスパーソンに必要ではない。考えるときの軸が必要だ、と。現象は無限にあっても、軸の数は少なくても間に合います。

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