国民性のいいところと悪いところは表裏一体だ--『日本辺境論』を書いた内田樹氏(神戸女学院大学文学部総合文化学科教授)に聞く

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--ト書きのような「まぜっかえし」が文章のカッコ内に挿入されています。

カッコの文章があるところは私に余裕があるところ。ないのは余裕がない。言い切ったり、なんか偉そうだなというときは、必ず、カッコ文を入れる。たぶんとか、よう知らんけどとか、見てきたんかよとか、そういう調子で突っ込みを入れてある。かなりテクニカルな問題なので、どこかでお笑いのセンスがないとできない。

このお笑いのセンスは関西在住20年というのがかかわっている可能性がある。大阪の人というのは、笑いながら自己言及に持っていくのがうまい。自分のしゃべっていることの定型性に気がつくと、大阪の人はまぜっかえして少し違った空気を入れてくる。

--健全な批評性でしょうか。

国民性という話はみんなでわいわいやらないと面白くない。スパッとクリアカットな議論をして、どうだとやられると、おっしゃることはもっともとしながらも、議論はみな沈んでしまう。それよりは、わいわいしだすほうが生産的と思うので、なるべくたくさん「穴」を開けておいて、突っ込めるところをつくってある。

--お考えに30年余の合気道の経験が影響を与えていますか。

合気道はもちろん私の生き方そのもの、考え方に影響を与えている。たとえば歯が痛いとする(実際、このインタビューは歯痛の最中でした)。そもそも生まれてからずっと歯痛だったとして、この状態に対して気にしない。その中でのパフォーマンスをどうやって上げるかを考える。これが武道的な発想の基本。

これが運命だと思って、粛々と受け入れていくと、どうなのか。基本的に日本人的だと思う。この考え方は欧米の人には理解しにくい。与えられた状況がすべてであるとはならず、欧米人ならあるべきものがあるだろうとなるからだ。

だから、日本のリアリズムはつねに現実から遅れる。私は日本的リアリストなので、現状をつねに追認していく。その中でどうするかということを考える。実際、現実はいろんなことが起きていて面白い。こんなことがあってはならないとか、あるはずはない、あるべきではないといった議論をしているときは、あまり現実を観察していないものだ。

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