自分の子盗聴「山村美紗」は母としても凄かった ミステリーの女王、知られざる母の一面
日本に引き揚げてからは、裕福な生活からは一転、食べるものにも事欠く暮らし。戦時中に学徒動員で雲母剥ぎの工場で働いていた美紗は、栄養失調も重なって気管支喘息で寝つくことが多くなった。
ほとんど学校に行けないときの楽しみは、天井を眺めながら数学の問題を解くこと。補助線を1本ひくと難問が一気に解決する幾何の問題が、なにより好きだった。美紗から勉強を教わった弟がのちに語ったところによれば、幾何も解析も定理や公式の証明から始めようとするので閉口したという。
三角形の机で買い物
もう1つの楽しみは、もちろん読書。父の蔵書は失われていたから、学校から帰ってきた弟に貸本屋へのお使いを頼むのが日課になった。近所のお姉さんの家の蔵の中で江戸川乱歩作品に再会してからは、再び乱歩の幻想世界にどっぷり漬かるようになった。封建的な社会が疎ましかった美紗にとって、自由で面白くて幻想的な乱歩ワールドは、かっこうの逃避場所だった。
高校生になって、ようやく父が母校の京都大学に呼び戻される。生活は落ち着いたものの、病状は相変わらずだった。家族みんなが京都で新しい友人を作っていくなかで、美紗はますます孤独を深めていく。
発作がひどい時期は横になっても寝られず、幾何の問題を解くことも本を読むこともできなかった。そんなときは座ったまま目をつぶり、「王が果物を持ってくるのを待つ胸を病んだ楊貴妃」「アフリカで猛獣狩りをしている女性探検家」などになりきってストーリーを膨らませることに没頭した。少し体調がよくなってきたら、幾何の問題を解く。
病気になってから何事にも自信が持てずにいた美紗にとって、かつての自尊心を保てるのは、数学の問題が解けたときだけだった。
どうにか体調を回復し、大学を卒業した美紗は、中学の国語教師になった。1957年に同僚教師と結婚し、1960年に長女・紅葉を出産。中学教師だった母の姿で紅葉が覚えているのは、三角形の机で書き物をしている姿である。「平面は3点あれば決定するから天板は三角形でいい」という幾何学的な理由で、結婚時に持参した衣装箱を自分で切って三角形の机に仕立てたものだった。
熱いスープを入れたコップが机の上を動くのを不思議がった3、4歳の紅葉に対し、空気の膨張と摩擦係数を持ち出して説明したこともあった。好奇心旺盛で、近所で踏切事故が起きたからといって裸足で飛び出していく母親を、
「ママー、飛び出していくと危ないよ」
とサンダルを手に追いかけていくのは、幼い紅葉の役目だった。
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