家族から離れて、悔しさをバネに捲土重来
忘れられない三番目の人は森家(仮名)のお祖母さまです。老舗の文房具屋さんの跡取りのお孫さん敦君(仮名)は、息子と同じ学習塾の常にトップクラスでしたが、本番で力を発揮できない子供さんだったらしく、市内の私立中学受験に全滅しました。
母親はとても教育熱心で、自分の子供が合格圏内何位というレベルから、その子が苦手な問題にまでとても精通していて、このままでは我が家は危ないと、タイミングがずれていた私に火をつけてくれた恩人です。息子さんが受験中、天満宮でずっとお祈りを続けたほどの人で、その結果には心中察するに余りあるものがあり、その後しばらくは、私たちの生活に必要なお店だったのですが、近づくことができませんでした。
ほとぼりが冷めた頃から、私はまた森商店に出入りを再開しましたが、お店におられるお祖母さまはあまり私に目を合わしてくださらず、当たり障りのない、それでいてぎこちない商い向きの話題を一言二言交わしますが、お互いに孫や息子の近況を出すことは一切ありませんでした。
それから8年。ある日そのお祖母さまが、急ぐ客の私を捉まえて、それこそ帰すまいと私の手を握って、お孫さんの話を興奮して切り出されました。
「あの日以来、菜の花が大嫌いになりましてね」。
市内の私立中学受験に全滅した敦君は、試験現場に慣れるために受けたさらに辺鄙な地方にある(それ故に全寮制の)私立中学・高校に入学したのだそうです。お祖母さまはそんなに早くから親元から離すことに大反対でしたが、母子がどうしても公立校に難色を示し、しぶしぶの決断だったとか。
いよいよ敦君が地方へ発つ数日前、祖父母・両親・敦君とその弟も交えて、「お別れのピクニック」に行ったところが大山崎でした。木津川や宇治川が合流して淀川になる広い河川敷は、鮮やかな黄色い菜の花が満開だったそうで、お弁当を広げてジュースで乾杯!した途端、家族全員涙、涙で言葉にならず、しばらくむせび泣いたそうです。まるで永遠の別れのような乾杯に思え、一面の菜の花が涙で霞み、「悲しくて悲しくて、それはもう何を食べたのか、お弁当の中身は未だに思い出せないのですよ」。
繰り返しますがそれから8年。敦君は「その学校で常にトップクラスを維持し、中学受験に失敗しなかった子供さんと遜色ない大学を卒業して一流商社に入社でき、今ではドイツで大きな期待を背負って活躍しているのですよ。貴女の坊ちゃんはどうしておられます?」とやっと私の目をみて話しかけてくれました。
「う~ん、うちは相変わらず泣かず飛ばずですよ」と答えましたら、「思えば山崎は合戦があった所。勝負がついたわけでもないのに、敗者を送り出すようなピクニックにして、あの子に悪いことをしてしまった。あそこであの子の人生はそこまでだと家族中が思ったのです、本人の決意も知らず。母親はずっと手紙を出し続けて、孤独にならないようにしましたよ。今では菜の花は大好きな花です」。
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