張氏も「われわれ看護助手はそれぞれが決まった患者の世話をします。高齢者には、食事を自分でとることができない人もいるので、私たちがサポートして食べさせます。そのほか、おむつを替えたり、定期的に姿勢を変えたりなどしなければなりません。なので夜は病室に泊まり込んでいます。まさかウイルスに感染したからといって帰る場所がなくなるとは思いもしませんでした」と語る。
病室を離れた後、2人は行く当てもなく、昼は病院の庭にある花壇に腰かけ、夜は付近のビルのなかでスペースを探して床で眠るしかなかった。陳氏は「私たちは食べるものもなく、着替えも多くはありませんでした。武漢の夜はとても冷えるので、1日目の夜はずっと寒さに震えていました。その後、ボランティアの方が布団と生活用品を贈ってくれて、状況は少しだけよくなりました」と語る。
「その後病院の別の看護師長がやって来て、われわれに隔離治療を施す必要があると言いました。外をむやみに歩き回るなということでしたが、当時病院のベッドはすでに埋まっていたので、それは無理だと思いました」(陳氏)
野宿生活を経て、受け入れ先が見つかる
2月9日、陳氏は感染が確定し、病院から「症状はそれほど重くないので、ベッドのある(臨時の)コンテナ病院に行き治療を受けることができる」と伝えられた。その後両氏はコンテナ病院へ向かったが、居住証明書がないため入院することはできなかった。
この間、陳氏は110番、120番、12345番の市長ホットラインなどへ電話をかけ、助けを求めたが、思いどおりの返事は得られなかった。こうして両氏はそのまま街をさまよい歩き続けることを余儀なくされた。
2月10日午後2時、武漢市の感染が疑われる全患者の検査を目指す「清零行動」の期日前日。区の防疫指揮部と地域組織が協議を行い、3日間野宿をしていた両氏を武漢弘済骨科病院に入院させる決定をした。陳氏は「弘済骨科病院では1日3食が保証されており、とても感謝している」と話す。
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