料理だけではありません。母親も父親も、子どもたちのことを「めちゃめちゃよく見て」いました。もちろん目ではなく、ほかの感覚を使っていたのですが、そのアンテナ感度の高さは、結子さんが「恐ろしい」と感じるほどでした。
中学生の頃、結子さんは両親に叱られながら椅子の上で胡坐をかいていたところ、父親は「ちゃんと姿勢を正しなさい」と言ってきたといいます。父親は全盲でも“お見通し”だったのです。
大抵のことを器用にこなす両親だったとはいえ、目は見えないのです。よその家との違いを感じることもあったのでは?と尋ねると、「私たちにとってはこの家族しかないので比べようがない」と断りつつも、いくつかのことを挙げてくれました。
「親が子どもを呼ぶ回数は、健常者の家庭より3、4倍は多かったんじゃないですかね。例えば、父親は診療室で使うタオルが古くなるとミシンを使って雑巾にしていたので、糸の色を布と合わせるのに、『ちょっと結子、糸を見て。白いのどれ?』と聞かれたり。あとは『(2階から)降りてきて、ちょっとこの書類を見て』とか。
こういうのは『ふつうの家』ではないことですよね。中学や高校の頃はうざく思ったこともありましたけれど、ほかの家でも子どもが家の手伝いをすることはありますよね。うちは“手を貸す”代わりに“目を貸す”だけで、(ほかの家と)違うと感じたことはなかったです」
筆者は昨年、コーダ(聞こえない親をもつ、聞こえる子どもたち)のドキュメンタリー番組を見たのですが、コーダの人たちもよく親に呼ばれて“通訳”を頼まれていました。反応はそれぞれで、子どもがストレスを感じているケースもあれば、そうでないケースもあるようでした。
意外だったのは、車についてのエピソードです。さすがの両親も車の運転だけはしようがなかったのですが、最近になって母親に聞いたところ、子どもたちは3人が3人とも「いいな、何々ちゃんの家は日曜日にお父さんの運転でドライブに行くんだって!」と1度は言ってきた、というのです。
「ばかだな、って思うんですけれど(笑)。でも、ほかの家にあるものは、うちに全部あったんですよ。テレビ(両親は音を聞くのみ)も電子レンジも洗濯機もミシンもある、でも車だけがない。違いがあまりなかったから、両親の目が見えないということと、運転ができなくて車を持てないということが、うまくつながらなかったんでしょうね」
「大変ね」「えらいね」、でも助けてはくれなかった
嫌だと感じたのは、よその家との違いではなく、周囲の人々の態度でした。たとえば親と出かけるとき、子どもたちはいつも親と手をつなぐか、腕をとってサポートしながら歩いていましたが、すれ違う大人たちが無遠慮に、ジロジロと見ていくのです。結子さんは小さいとき、それが嫌でたまらなかったそう。
「かわいそうね、こんな小さな子を杖代わりにして」。わざわざ親にも聞こえるような声で言ってくる人もいました。結子さんはカチンときていましたが、プライドの高い父親は、いっさい聞こえないふりをしていたといいます。
子どもたちは小さい頃からよく「(親の手伝いをして)大変ね」「えらいわね」と言われてきましたが、これも聞きたくない言葉でした。
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