不祥事を起こしたときの、一流の謝り方とは
さて、佐村河内氏のこの二流の詐欺師っぷりと二流の謝り方に比べ、新垣氏の謝り方は一流といってよかったのではないか。まず周囲に暴露されるのを待たず、自分からすべて公表している。また世間からバッシングが起きるかと思いきや、教え子たちから自然発生的に退職反対の擁護論が上がったのも記憶に新しい。
またネットやメディアでも「新垣さんは悪くないでしょう」と擁護する声が聞かれた。なんといっても私の友人で著名な音大を出た数人の方が、新垣さんの教えを受けたことがあるのだが、SNS上でそろいもそろってその人格を尊敬し、擁護論を唱えていたのだ。こういうときに、日頃、積み上げた信頼、日頃、実践してきた誠実さ、正直さが周りの声となって自分に返ってくるのである。これに対し“現代のベートーベン”の過去を知る人から寄せられた声の数々は、「昔からウソつきだった」とか、その手の批判が山盛りである。
この2人の謝罪会見に限らず、謝罪しなければならない局面で、「なにか隠しとる」と思われるような謝り方や、今回の佐村河内氏のような言い訳がましい謝り方、これに加えて行動が伴っていない口だけの謝罪は、芸能人の不祥事に限らず会社の不祥事でも、政治の不祥事でも、火を消して失敗を過去のものにするための“謝罪”としては、極めて二流の謝り方と言わざるをえない。
……とか書いたら、佐村河内氏に「東洋経済オンラインを名誉棄損で訴える……」とかやられたらどうしよう、と思いながら、オペラ座に向かうため、夏が終わりゆくシドニーの夜に繰り出す、グローバルエリートの弟子であった。
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