グレタへの脚光「世界の終わり」煽る空気のワナ 不安・不満募る人を大量に生み出し食いものに

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その一方で、あたかも「楽観論者」のように「終末論」を楽しむ人々がごまんといることも忘れてはならない。

彼らはむしろ現状をひとごとのように突き放して眺め、ある種の諦観とともに“大惨事”をスペクタクルとして消費する。先日、アメリカによるイラン革命防衛隊の司令官殺害で、中東地域での武力衝突の緊張が高まり、世界各国のソーシャルメディアで「World War3(第三次世界大戦)」がトレンド入りしたが、少なくない人々が「世界の終わり」が明日にでも来るのかと色めき立った。

退屈な日常を活性化する刺激剤

筆者は以前その界隈に足を突っ込んでいたことがあるのでよく理解できるが、「終末論」は退屈極まりない日常を活性化するエンターテインメントであり、とっておきの刺激剤なのである。つまり、「地球温暖化の危機」を訴えるために「世界の終わり」を前面に押し出す不安マーケティングを展開しすぎると、かえって「何をしても無意味」だと思ってますます反動的に、ますます享楽的になるのだ。

「地球温暖化の危機」は世界各国が取り組むべき重要な課題だが、やたらと「終末観」をあおり立てるようなアナウンスは、メンタルが不安定な人々を大量に生み出すだけでなく、それらの人々を食いものにする各種ビジネスをも肥え太らせてしまうだろう。

また、とくに先進国において不満や鬱屈(うっくつ)を抱えた人々にとっては、「クソみたいな毎日」「くだらない茶番」をひっくり返してくれるイベントやショーとして機能してしまう。ダボス会議におけるアメリカのドナルド・トランプ大統領の発言のように、「悲観論者」ばかりを目の敵にして気候変動を否定する態度は論外だが、終末論的なムードの蔓延による弊害は想像以上に大きいだろう。

地球の「温暖化対策」が急務であることは間違いないが、わたしたちの思考の「温暖化対策」にも着手する必要がありそうだ。

真鍋 厚 評論家、著述家

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まなべ・あつし / Atsushi Manabe

1979年、奈良県生まれ。大阪芸術大学大学院修士課程修了。出版社に勤める傍ら評論活動を展開。 単著に『テロリスト・ワールド』(現代書館)、『不寛容という不安』(彩流社)。(写真撮影:長谷部ナオキチ)

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