富野由悠季「ガンダムで伝えたかった」熱い信念 監督が作るロボットアニメは伊達じゃない!

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富野監督はこのように、戦後のアニメの歴史の中でも大きな位置を占めているアニメーション演出家・作家である。だが、そんな富野監督のいちばん特徴的なところは「アニメを通じて世界を救いたい」と考えているところではないだろうか。少なくとも富野監督を取材をしていると、そういう気持ちを強く感じる。その思いの強さは唯一無二といってもいい。

監督が観客に「求めていること」

劇場版『Gのレコンギスタ』(以下、『G-レコ』)の公開に合わせ、富野監督はさまざまなインタビューを受けている。

そこではさまざまな言い回しで、「『G-レコ』というのは次世代に向けて『われわれには解決できない問題がこれだけあります。それらの問題で地球は人類によって食いつぶされたり、環境が最悪になってしまったりするかもしれません』『そういう問題を見ないふりをして、月旅行とか火星旅行みたいなアイデアに税金を使うのは正しいことですか?』というような大事な疑問を忍ばせています。」(Yahoo!ニュース)といった内容を語っている。

つまり富野監督は「自作を通じて現実を把握する力を鍛えてほしい」と願っているのである。そして、その鍛えられた視線を持つ人が増えれば、世界はもっとマシになるはずだと真剣に考えている。

これは、『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編』(1982)のラストに「“And now... in anticipation of your insight into the future.”(そして、今は皆様一人ひとりの未来の洞察力に期侍します)」というテロップを掲出したときから変わっていない。

作品にそのような思いを込めるには、まず作り手自身が自らの作る世界を強く信じていなくてはならない。自分が実在を信じていない“偽物”を提示しても、観客の視線は決して鍛えられないからだ。だから富野監督は、自分の作品世界を強く信じている。

例えば『機動戦士Zガンダム』(1985)の放送に合わせて富野監督が発表した「ニューガンダム?ニュータイプ?ニューシリーズ?」という一文がある。

この文章は、閉塞する現代社会の状況を記した後に「おもしろいかどうかではない。/時代はこうなのだ、といった物語を手に入れたい。/そして、この過酷な時代であるからこそ、それに対応できる己を見つけだしたいと願うのである。/そして、この問題は、若い諸君にとっても無縁ではないであろう、と想像する。」と締めくくられている。

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