想像の世界もしかり、10代のヤングカップルばかりが目につく。源氏君の最初の結婚相手は葵上という貴婦人だが、2人が結ばれたとき、彼は元服を経たばかりの12歳、彼女は4つ上の16歳。さらに、運命的な出会いを果たした当時、紫上は10歳か11歳くらいだったと推測され、源氏君が我慢しきれなくて、やや強引に愛を求めたときでも、彼女は14歳になっていたばかりという計算になる。
一方、グラマラスなマダムとして描かれている六条御息所が、若き源氏君との危険な情事に踏み込んだのは30歳前後。やっと著者と同年代の人物が出てきたものの、16歳で東宮妃になって、子持ちの未亡人としてセカンドライフを謳歌しているという豪華な経歴は著者と比べ物にならない。
こうして考えると、27歳はやはり……遅い。
ようやく子どもに恵まれたのに未亡人に
やっと愛に目覚めた紫は、晩婚でありながらも、ゴールインを果たして次の年に早速子どもに恵まれる。しかし、何とか人生が軌道に乗り始めたかと思いきや、その直後に旦那が急死。おばさんに、シングルマザーに、未亡人……お先真っ暗って感じだ。
『紫式部日記』が書かれたのは、著者がそのスランプを乗り越えた後になる。そして、女房としてのプロ意識に満ちあふれている反面、少し前まで抱えていただろう不安と、後ろ向きの感情を完全に抑えることができず、オフィシャルな記録であると同時に、その負のオーラがちょいちょい表に出てくる。
長年日本の高校生を苦しめてきた紫も、毎日苦心して生きていたんだと思うと、今までよりも彼女のことが好きになり、飲んでも落ちぬ歯黒、心が乱れても荒れぬヘアだったに違いない想像上の紫上よりずっと愛おしく思う。
中宮彰子の家庭教師としてスカウトされ、何とか食いぶちをつなぐことに成功した紫は、せわしなく働いている。『紫式部日記』の前半は彰子の出産、それにまつわる祝い事、後宮の人たちの慌ただしい日常が描かれている。その目まぐるしいスケジュールをこなし、一連の式典の準備などが終わってから、紫はやっとの思いで久しぶりに里帰りをする。
特別でもなんでもない自宅の木立を見たら、なんとなく鬱陶しくなって気持ちが乱れた。何年もこの風景をぼんやりと眺めて暮らし、花や鳥、季節ごとの空の様子、月の光や積もる雪、移り変わっていくものを見て時間の流れを頭では認識できていたものの、心の中では「もうこれからどうなるんだろう……」と将来のことを案じることしかできなかった。そのときに、まったく役に立たないものではあるけれど、物語というものを通じて、同じ想いを分かち合える人と手紙を交わしたりして、少し疎遠な人の場合はつてに頼って声をかけてみたりした。いろいろ試行錯誤をしながら、物語に癒やしを求め寂しさを紛らわしていた。私なんか、本当にちっぽけな人間だけど、物語があったおかげで、なんとか恥ずかしいことをしなくても済んだし、本当のつらさも免れた。しかし、あの頃のことを思い出されるだけで、恥ずかしくて憂鬱になっちゃうの。
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