少し前までは紫もそのうちの1人だったが、今や立派な女房になり、テキパキと働くし、男どもと堂々と話をするし、同僚と共同生活もしている。自分がそこまで成長したと実感すると同時に、昔と変わってしまったことも認めなければならない。そして、それは本当に……よかったのだろうか……。新しい道に進むとき、みんな不安を抱えているのだ。あの紫もそう。
現代人からしてみれば、ゴージャスな後宮に出入りしている女房は断然に魅力的な立場だが、当時の価値観は逆で、きちんとした家柄の女性は、お勤めするのはよろしくないと考えられていた。だからこそ、かつて仲がよかった人たちと連絡を取るのは恥ずかしいし、取れたとしても昔ほど気持ちが通じるとは限らない。
お先真っ暗からの華々しいキャリアチェンジ
だが、新しいところに行けば、そこには新たな未来が待っている。
難しい性格なだけに、溶け込むには苦労しただろうけれど、紫も少しずつ田舎臭い貴婦人から脱皮していく。周りは都屈指の才女ばかりで、ファッションも最先端、芸術品にあふれ、住んでいる屋敷も華やかで、そこから見えるのは圧巻の庭園――。そんなすばらしい環境の中で活躍する紫は輝かしく、イキイキしていたに違いない。
かなりのネガティブモードで始まったこの里帰りのくだりも、京都で待っている職場への想いで締めくくられている。物憂いや、恥ずかしさというマイナスな気持ちは一蹴され、著者もやっと気持ちを切り替えたことがうかがえる。
中宮様の御前近くに、大納言の君と毎晩横になってあれこれと話をしている様子が本当に恋しい。わたしの心は後宮の世界に染まりきって、それはもうわたしの居場所になったかもね。
目の前にあるのは、住み慣れた実家のみすぼらしい景色だが、心はもうすでに後宮へと飛んでいる。そこでは、気心の知れた仲間と一緒に中宮様を応援し、歴史の動きをはっきりと見えるステージに立っている――。お先真っ暗だったはずの紫大先生が果たしたキャリアチェンジに思わず心を奪われる。
スランプは誰にだってある。そして、未知の世界はどの時代においても恐怖に包まれている。『紫式部日記』にはその不安やつらさ、そして動き出す勇気も包み隠さずつづられている。もうダメと思ったとき、意外なところからかすかな希望の光が差し、紫先生は「いづれの御時にか……」という妄想から、優しく背中を押されて、思い切って自分の運命を切り開いていった。振り向くことがあっても、後悔はきっとなかったはずだ。
もろくて頼りない1人の女性が歩んだその道程を思い浮かべただけで、心が躍る。そして改めて確信する。どんなときであろうと、古典は私たちに感動を与え続けて、決して裏切らない、と。
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