世界恐慌と経済政策 「開放小国」日本の経験と現代 鎮目雅人著 ~金本位離脱後のインフレ予想に論争的研究
1930年代の世界恐慌の下、日本は他国に先駆けデフレ不況から抜け出した。本書は、その際に取られた「高橋財政」と呼ばれる一連のマクロ政策について分析したものである。先行研究の多くは文献解釈に基づく歴史的実証アプローチを取るが、統計データを駆使した最新の数量分析の手法も取り入れ、興味深い分析結果が示される。
多くの人は、31年末の金本位制離脱後、日本が変動相場制に移行したと考える。「国際金融のトリレンマ」として知られるとおり、資本移動の自由、固定為替、自律的な金融政策の三つの目標を同時に達成することはできないため、金本位制離脱後に日銀が利下げを行っていたとすると、変動相場制に移行したと考えても不思議ではない。しかし、実際は、一度限りの大幅切り下げであり、先行して金本位制から離脱していた英ポンドへ固定したというのが実態である。日本のその後の利下げも、英国の利下げへの追随であることが明らかにされる。
日本が、金融面でロンドンを中心とする国際金融市場に依存し、貿易面でもポンド圏に依存する新興国であったため、ポンドに固定することは理にかなっていた。当時の民間の経済主体も、日本が固定為替の下での「開放小国」であることを前提に意思決定を行っていたことが、インフレ予想形成に関する数量分析から明らかにされる。
金本位制離脱直後には、円切り下げによってインフレ予想が高まり、デフレが終息した。その後、ポンドへの固定とともに人々のインフレ予想は沈静し、日銀の赤字国債の引き受けにもかかわらず、インフレ予想は落ち着いていた。つまり、金融政策の目標が為替の安定にあり、自律的な金融政策が取られていると認識されていなかったのである。赤字国債の日銀引き受けを含む大胆な金融緩和策によってインフレ予想が高まった、とする岩田規久男氏らの先行研究とは異なる結果に至る。
財政に関する数量分析では、32年以降、財政の持続可能性が失われたことが示される。日露戦争後、軍事的要請による財政膨張圧力が常に存在していたが、金本位制の存在が放漫財政への強い規律となっていた。国際金融市場に財政を依存していたため、一時的離脱時にも規律が働いていた。しかし英国の離脱で31年に国際金本位制が事実上崩壊し、それに代わる財政規律メカニズムが不在のまま、赤字国債の日銀引き受けを開始したため、財政の持続可能性が失われたのである。高橋是清蔵相時代にそれが顕在化しなかったのは、高橋の属人的能力が規律として働いていたためであろう。新たな論争を呼ぶ一冊である。
しずめ・まさと
日本銀行金融研究所企画役。1963年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業、日本銀行入行。同行金融研究所、国際局、名古屋支店勤務、2006~08年神戸大学経済経営研究所教授などを経る。
日本経済新聞出版社 4200円 274ページ
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