45人殺傷の「植松聖被告」が直面する裁判と現実 麻原彰晃元死刑囚の裁判でも重なる所がある

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麻原元死刑囚は、かつての弟子たちが事件について証言することを阻止しようと、法廷で不規則発言を繰り返した。裁判長の制止も無視した。そこで下った退廷命令によって、複数の刑務官に一斉に取り囲まれ、そのまま法廷から押し出された。その後に再開された法廷にも姿はなかった。初公判の植松被告を見ているようだ。

結局のところ、麻原元死刑囚は現実から逃げようとしていた。すばらしい教祖であるはずの自分と、直面する現実が一致しないからだ。その後はある時期から不規則発言をやめて、一切の沈黙を貫いたのも現実からの逃避だろう。

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植松被告は、初めて謝罪の言葉を口にした途端に奇行に走ったため法廷を混乱させた。謝罪の言葉を口にしてしまうと、それは自分のなした行為に説明がつかなくなる。英雄としてのすばらしい自己像が崩れていく。その現実からの逃避では、麻原とまったく一緒だ。

いずれにしても、この裁判は刑事責任能力が最大の争点となる。だが、そもそも、事前に結束バンドと刃物を準備し、裏口からハンマーでガラスを割って侵入しているのだ。相手が障害者であることを確認して、首や腹を刺している。心神喪失や耗弱の人間に、そんな計画的で一貫した行動をとることはできない。

直面する現実と向き合うことができるのか

2009年7月、大阪府此花区のパチンコ店にガソリンをまいて放火し、5人を殺害した事件があった。公判で被告人は幻聴が聞こえるなど統合失調症と診断されるも、ガソリンを事前に用意するなど計画性が評価されて死刑判決が確定している。

これと酷似した事件が昨年7月にあった。京都アニメーション放火事件だ。この青葉真司容疑者も精神疾患と報じられているが、携行缶であらかじめガソリンを用意するなど、計画性は十分に認められる。この事件も、植松被告も結論は1つだろう。

初公判から2日後の1月10日には、第2回の公判が開かれた。この日の植松被告は、自傷行為を防ぐ為だろう、両手に白い手袋のようなものをはめて(あるいは、そうさせられて)法廷に姿を現した。冒頭に裁判長が前回の行為を注意すると「はい。申し訳ないです」とだけ小さく答えている。

果たして、今後も直面する裁判という現実に、植松被告は向き合うことができるのか。事件について語れるのか。そちらのほうが気がかりになる。

青沼 陽一郎 作家・ジャーナリスト

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あおぬま よういちろう / Yoichiro Aonuma

1968年長野県生まれ。早稲田大学卒業。テレビ報道、番組制作の現場にかかわったのち、独立。犯罪事件、社会事象などをテーマにルポルタージュ作品を発表。著書に、『オウム裁判傍笑記』『池袋通り魔との往復書簡』『中国食品工場の秘密』『帰還せず――残留日本兵六〇年目の証言』(いずれも小学館文庫)、『食料植民地ニッポン』(小学館)、『フクシマ カタストロフ――原発汚染と除染の真実』(文藝春秋)などがある。

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