40歳「なりゆきで小説家になった男」の波瀾曲折 「ぼぎわんが、来る」はこうして生まれた

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小学生時代は、勉強をしなくても100点を取るのが当たり前だった。100点を取っても別にうれしくなかったので紙飛行機にして飛ばしていたら友達に、

「そんな大事な物になんてことするんだ!!」

と怒られた。澤村少年は、

「調子に乗っていたな……」

と素直に反省した。

中学に進学しても勉強をしないでいたら、成績はガクンと下がってしまった。

「成績が下がって母親に叱られました。そしてはじめて家で勉強をするようになりました。しばらく勉強を続けるとまたいい成績を取れるようになりました。それに味をしめてその後も自宅で勉強をするようになりました」

高校は市内の進学校に進んだ。

国公立文系に進むためのクラスだったのだが、女子生徒32人、男子生徒7人というかなり偏ったクラス編成だった。そして3年間クラス替えはなかった。

「クラスに女子が多かったですから

『下ネタは絶対に厳禁』

『なにかやらかしたら高校生活終わり』

という緊張感がすごくありました。いつの間にか、女子と全然話せなくなりました。最終的には女子と目も合わせられなくなってしまって、少し青春をこじらせていましたね(笑)」

その頃にはよく、図書館に行って読書をしていた。ホラー小説も好きだった。中学時代はスティーブン・キングを読んでいたが、高校ではディーン・R・クーンツをよく読むようになった。ハワード・フィリップス・ラヴクラフトをはじめとする「クトゥルフ神話モノ」の小説もよく読んだ。

集団生活に慣れるため運動部に所属

少年時代を通して読書好きだったが、ずっと運動部にも所属していた。

小学5年生のときに卓球部に入り、中学時代も部活で卓球を続けた。高校ではサッカー部に入って汗を流した。

「小さい頃から『自分は集団生活が得意ではない』と気づいていました。でも、集団生活は人生においてとても大事なものだとも考えていました。集団生活は自分の人生から完全に排除できない。ならば集団生活に慣れようと思い、あえて運動部に入りました。部活を通じて集団生活の、楽しさ、ありがたさ、そして怖さを学びました」

高校時代はまじめに勉強をして、ストレートで大阪大学に入学することができた。

「大学受験はとても運がよかったですね。担任の先生には

『お前が受かるとは……』

と驚かれました(笑)。

兄弟が多いのでお金がかかる大学はやめておこうと思っていたので、自宅から通える国公立大学に受かってよかったです」

大学へは実家から原動機付自転車で通った。大学では今までやったことのない、ラクロス部に入った。

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